その他勢力
さて、今回は張融の紹介じゃな。彼は張燕の孫、張方の息子に当たる人物なんじゃよ。
さて、今回は張方の紹介じゃな。彼は黒山賊の首領にして、後に魏の将軍となった張燕の息子なんじゃよ。
さて、今回は黄巾賊の頭領の一人である、張白騎の紹介じゃな。魏志『張燕伝』の裴松之注『典略』によると、彼は白馬に乗っていたことから、張白騎と言われていたようじゃな。
さて、傅巽の紹介じゃな。彼は傅嘏の兄であり、当初は劉表に仕えておったが、後に魏に仕えるようになったんじゃよ。彼も弟同様優れた人物であったようじゃな。
さて、今回は傅嘏の父である傅充の紹介じゃな。字ははっきりしないが、傅嘏の父は傅介子とも言われているので、介子が字なのかもしれんのう。記録は少ないようじゃが彼についても見ていくとしようかのう。
さて、今回は傅嘏の末子である傅祇の紹介じゃな。字は子荘、生没年は不明じゃ。彼も記録は少ないながらもその博学さから博士として、後に晋の司空にまで登った人物なんじゃよ。
さて、前回で鮮卑族の紹介は終わったことで、今回から新しい勢力の紹介じゃな。今回は代郡太守であった傅睿の孫に当たる人物であり、魏を代表する名臣の一人じゃな。
さて、今回は鮮卑族の蒲頭の紹介じゃな。彼は目立たないが戦闘において実績を持つ、結構重要な人物なんじゃよ。
さて、今回は過去何度も出てきたと思われる鮮卑族の長歩度根の紹介じゃな。とは言っても最終的に軻比能に殺害される、なかなか不遇な立場であったようじゃな。
今回は紹介するのは扶羅漢じゃな。彼は泄帰尼の父であり、軻比能に殺害された人物なんじゃよ。
今回は載胡阿狼泥と言う人物の紹介じゃな。彼は歩度根の部落の大人であったんじゃが、秦朗が反乱した軻比能等の討伐に赴いた際に幷州にやってきて降伏した人物なんじゃよ。
今回は泄帰尼と言う人物の紹介じゃな。彼は歩度根の弟、扶羅漢の息子であり、軻比能にも目をかけられておった人物だったんじゃ。しかし父が軻比能に殺されておったことから、軻比能とは相いれず、最終的には魏側にて軻比能としばしば戦うんじゃよ。
今回は成律帰と言う人物の紹介じゃな。彼は軻比能と争った素利の弟に当たる人物だったんじゃよ。
今回は苴羅侯と言う人物の紹介じゃな。彼はあの軻比能の弟に当たる人物なんじゃが、歩度根等との争いの渦中に亡くなったようなんじゃよ。
今回は琑奴と言う人物の紹介じゃな。彼はあの軻比能の配下として、戦場に赴いておったようなんじゃよ。
今回は沙末汗と言う人物の紹介じゃな。彼は長城の外に勢力を築いていた厥機と言う人物の息子に当たる訳じゃな。それでは彼について見ていくとしようかのう。
今回は騫曼と言う人物の紹介じゃな。彼は檀石槐の孫であり、先に紹介した魁頭と後継者の座を争った人物なんじゃよ。
今回は魁頭と言う人物の紹介じゃな。彼はここでも何度か名前を挙げておる、あの檀石槐の一族に当たる人物なんじゃ。じゃが彼はその後様々な苦労を背負うこととなったようじゃな。
今回は丁零の大人、児禅の紹介じゃな。一応鮮卑族の大人と言う扱いにはしているんじゃが、ちょっと調べてみたら、これもまたいろいろ考察の余地はありそうなんじゃな。
さて、今回は軻比能の主な事績を追いかけていくとしようかのう。少ないながらも戦闘経験も多いことから、戦闘実績も載せていくぞい。
さて、今回は鮮卑族を代表する大物、軻比能の紹介じゃな。三国時代に軻比能は魏に対し、服従と離反を繰り返しており、最終的には暗殺されているんじゃよ。
さて、今回鮮卑族の人物紹介じゃな。彼らも烏丸と同様に、鮮卑と思われる人物は皆ここで紹介していこうと思うんじゃよ。今回は鬱築鞬と言う人物じゃな。彼は何度か名前の出ている軻比能の女婿に当たる人物じゃ。
さて、今回は烏丸の楼班の紹介じゃな。彼は遼西郡の烏丸単于であった丘力居の息子で、彼が亡くなった時は幼少であったため、遼西の烏丸は蹋頓が代理で率いておったんじゃ。後に楼班が成人すると蘇僕延の手によって単于に持ち上げられたんじゃよ。
さて、今回は烏丸の魯昔の紹介じゃな。彼は太原郡の烏丸王で、曹操によって長安に留めおかれた人物なんじゃ。彼は非常な愛妻家であり、それがために破滅した人物なんじゃよ。
さて、今回は烏丸の能臣氐の紹介じゃな。彼は代郡の烏丸なんじゃが、ちと数奇な運命をたどった人物なんじゃ。
さて、今回は烏丸の普富盧の紹介じゃな。彼は代郡の単于代行で、那楼と共に曹魏に祝賀しに来た人物なんじゃよ。
さて、今回は烏丸の頒下の紹介じゃな。袁紹時代の遼東属国の率衆王じゃ。字や制帽年は当然わからんぞい。
さて、今回は烏丸の那楼の紹介じゃな。上郡の単于代行とあるが、上郡は幷州で結構易水からは遠いんじゃよ。上谷郡が近いと思うんじゃが、上谷には難楼と言う人物を以前紹介しておる。この辺りの関係も気になるのう。
さて、今回は烏丸一番の大物、蹋頓の紹介じゃな。後漢から三国時代にかけて、烏丸の単于は世襲で行われることが多いんじゃが、蹋頓は本家筋ではなかったのを、実力でのし上がって言った人物じゃな。
さて、今回は烏丸の速僕丸の紹介じゃな。実を言うと今日紹介する速僕丸、そして昨日紹介した速附丸、それとかつて紹介した蘇僕延は同一人物の可能性もあるんじゃが、ここでは別々に紹介するぞい。