さて、今回は公孫瓚配下の武将、厳綱の紹介じゃ。
字は不明。生年は不明で没年も確実ではないが、一応192年に没したとしておこう、これはまた簡単に説明していくと、裴松之画が注として入れておる英雄記の内容と史書本編中では少し記述が違うためじゃ。
その辺りを順番に書いていくぞい。
人物紹介
史書本編の扱い
史書では公孫瓚と袁紹が争った時、公孫瓚はあちこちに進出し、厳綱には冀州、田階に青州、単経には兗州をおさめさせ、各地の長官を任命されておる。もちろん正式の刺史や牧ではないので、正式に任務されている連中と争うことになるのじゃな。
そして袁紹と公孫瓚は界橋にて激突する。この戦いは袁紹の勝利に終わり、この時に厳綱は生け捕りにされた、とあるんじゃ。
英雄記の記述
英雄記の方でも基本の流れはほぼ同じじゃ。ただ界橋の戦いの内容に関してはこちらの方がかなり詳細に書かれておる。ここでは袁紹方の麹義と言う武将が大活躍しており、彼の破格の活躍で公孫瓚は敗北し、そしてこの戦いで厳綱は麹義に斬られておるんぢゃ。
史書では生け捕り、英雄記では斬られる、と言う記述の違いから、死亡年がはっきりしない、と言う要素へと繋がっておるのじゃ。とは言え生け捕られた後、普通に斬られたじゃろうから、死亡年は変わらんじゃろうがな、さて、ほいじゃ能力評価じゃ。今回は天舞~三国志正史~のみ出番なしぢゃ、珍しいのう。
能力評価
軍人としては目立つ実績もないのでやや控えめな評価じゃ。それでも重要拠点となる冀州の押さえを任された訳じゃから軍事は100越えとしておるぞい。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回も公孫瓚配下の武将の厳綱じゃな。彼は確か演義にも出てるぐらい、知名度の高い武将じゃと思っておったんじゃがな。それだけに逆に天舞さんに出ておらんのはちと意外じゃった。
確かに天舞~三国志正史~だけ出てない人物って初めてかもしれないですね。
うむ、州の長官のような役割を担っていたと考えられることから、政治も少しだけ上げておる。軍事面もそれなりとはしているが、界橋の戦いで敗れていることからそこまで高い評価にはしておらん。まあこれは相手が悪すぎた、と言うのもあるんじゃがな。麹義はワシの評価でもそうはいないレベルで強い武将じゃ。
麹義の評価がどんなものか興味出てきました。名前が出てきてるだけの武将も段々増えてきましたね。
そうじゃな、まあ名前が出てきておるのは大抵有能じゃと思ってもらったら良いぞい。それでは今日はこんなところかのう。
次も見てくださいね、それでは!