さて、今回は公孫瓚の武将、単経の紹介をするぞい。彼は袁紹と袁術が争いだした時に公孫瓚に袁術から救援の要請が入り、公孫瓚は単経を平原、劉備を高唐、陶謙を発干に駐屯させて袁紹を圧迫したとある。
ここにも劉備が出てきとるのう。確かに先主伝(劉備の伝記)を見ると高唐の尉から令になっておることが記述されておる。面白い縁じゃな。
人物紹介
先主伝によると、この時劉備は賊に打ち破られて公孫瓚の下に逃げたとある。そして武帝紀(曹操の伝記)を見ると曹操は袁紹と協力し、劉備、単経、陶謙を全部撃退したと書かれておる。
なので先主伝では名言されておらんが、劉備が敗れたのは実は賊とかではなく、袁紹と曹操の連合軍と言うことじゃろうな。まあ、これはさすがに相手が悪かったろう。しかし劉備と曹操の因縁は意外と早い時期からあった、ということじゃな、なかなかおもしろいぞい、ほっほっほ。
そして単経も同様に撃退されたと言うことじゃな。彼は冀州を治めておったので、恐らく界橋の戦いでやられたものと思われる。その後の消息ははっきりしないぞい。
ただ、当初は単経が冀州を圧迫しておったことで袁紹もかなり苦労しておったようじゃ。そのことから一定以上の評価をしておる。
と言うところで能力評価じゃな。今回は鄭問之三國志のみ出演しておらんぞい。
能力評価
あまり目立たんが、曹操達に破られるまで袁紹に圧力をかけていた実力を評価して、それなりの評価にしておるぞい。界橋で勝てんかったのが悔やまれるのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は公孫瓚配下の武将、単経じゃ。彼もまた劉備と関係があったんじゃな、そして曹操も間接的に関係しておったんじゃな。段々話が面白い方に流れ出しておるのう。
劉備って関羽、張飛の豪傑がいるんですよね。それでもあっさり負けるものなんですね。
うむ、2人とも万の兵に匹敵する、と評されてはいたが、これはそれぐらいの価値がある将、と言う意味で本当に一人で1万の兵を相手に出来る訳ではないからの。逆に言うとそれぐらい兵士の命が軽かった時代とも言えるかもしれん。
どちらにしても戦略、戦術が無ければ勝てるものも勝てん。これこそこの時代曹操が最強となれた最大の要因であり、劉備が立ち遅れた理由でもあるからの。まあ劉備も単経も相手が悪かったと言うことぢゃ。それでも一時期は袁紹を圧迫しておったのじゃからそれなりに評価できるじゃろう。
うーん、記述が少ないと評価に苦労しますねえ。ただ公孫瓚陣営って知謀高い人物がいないですねえ。さっき言った戦術云々とも関係あるんでしょうか。
そうじゃな、群雄の傾向と言うのはあるからの。公孫瓚は知謀の高い人物が少ない。いつか壁に当たる、それが界橋の戦いの時だったのかもしれんのう。ゲームでやる時は早いところ領土を拡大して知謀の士を引き入れんといかんじゃろうな。さて、今回はこの辺りで終わりじゃ。またよろしくのう。
また見てください、それでは!