さて、今日のラストじゃな、今日はこれで7人目ぢゃ、よく頑張ったのう。今回は文則じゃ。字は不明。生年は分からんが死亡は199年、公孫瓚と共にじゃな。
彼は包囲をかいくぐって援軍を求めに行くと言う重要な役割を担っておった。その辺りの説明をしていくぞい。
人物紹介
文則は袁紹によって包囲されていた状況を打開するため、援軍を求めに行くよう、公孫瓚に頼まれたのじゃ。丁度公孫瓚の息子の公孫続が城外にいたので、そこに公孫瓚の書簡を届けるよう命じられておる。その書簡の内容がちょっと面白いんじゃ。概略は以下の通りぢゃ。
息子の公孫続宛ての手紙
「袁紹軍の攻撃はそれはそれはもうバリ恐ろしくって、地の底から角笛とかの音とかが聞こえるかと思うと、楼上からは雲梯や衝車が動き回って、活躍しちょるんじゃ。ワシ怖くて気が狂いそうで、もうダメかもしれん。
お前(息子)、仲間の張燕に、お前の頭砕けていいからめっちゃ頭打ち付けて援軍頼み込んじゃってちょうだい。援軍来たら北の方角でのろし上げてくれたらワシも出撃するから、絶対絶対援軍してもらうようにお願いね。
でないと・・・ワシ滅びたらお前も、
逃・げ・ら・れ・ん・ぞ・・・」
とまあ大分脚色しておるが、こんな感じの書簡をしたためて文則に渡しているんじゃ。そして文則は・・・袁紹に捕まったんじゃw、いや笑うとこではないんじゃがな。
そしてこの手紙の内容を逆手に偽ののろしが上げられ、出撃した公孫瓚は大敗をした。これでもう完全に追い詰められてしまったんじゃな。文則もこの時処刑されたんじゃろう。しかし、役目は果たせなかったとは言え、包囲の中を突破しようとした勇気は少し評価してやりたいのう。と言うことで能力評価じゃな。今回は鄭問之三國志のみ出番がなかったようじゃ。
能力評価
文則は全体的に控えめなんじゃが、危険な使者の役目を果たそうとした度胸を見込んで軍事を、そして使者としては外交能力が必要であることか知謀もやや高めにしておるぞい。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は文則じゃった訳じゃが、あの手紙を袁紹に読まれた公孫瓚はどんな気持ちじゃったかのう。
とは言えあのままの内容じゃもちろんないですよね。それだったらそんなに気にすることでもないのではないですか?
いや、頭を打ち付けて、の辺りはあれに近い文章やからのう、しかも逆手に取られたことで外部からの援軍の見込みが完全に断たれた訳じゃからの。普通ならもう絶望しかない訳じゃよ。
そう考えるとただの笑い話で済ませられることではありませんね。公孫瓚はそれで絶望して自殺したんでしょうか。
直接かどうかまでは何とも言えんが、要因としては大きかったじゃろうな。ともあれこれで幽州に割拠していた英雄が一人消えることになる訳じゃ。ちなみに文則は外交の役割を請け負っておったのでワシは知謀、天舞~三国志正史~は外交がともに高めじゃ。
あと単騎で敵陣を突破しようとしておったと思うのでワシは軍事も少し高めにしておる。三国志14は少し評価ポイントが分からんの。さて、これで文則はおしまいじゃ。明日は出来れば公孫瓚勢力の簡単なまとめもやりたいのう。それではまたじゃ。
また見てくださいね、それでは!