三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

丘力居(きゅうりょくきょ) 字:不明(?~?)

さて、今日は烏丸の大人、丘力居の紹介じゃな。元中山太守じゃった張純は彼の下に逃げ込んでおり、最初は彼の配下となったんじゃ。

字や生没年は不明じゃな。

人物紹介

さて、烏延はハ百余の落を支配下に置いておった、と書いたが、丘力居は五千余の落を支配下に置いておった。規模の桁が一つ違う感じじゃな。

同じ烏丸の王と言ってもこの辺り格はあったんじゃなかろうか。彼らはいずれも知謀もあり勇敢だった、とのことじゃがどこまでどうなのかは正直分からんのう。

ただ丘力居は後に述べる難楼と並び数千単位の落を確保し、彼の死後は従子の蹋頓が三王配下を統率することになっておる。このことから見ても丘力居とその一族は烏丸の王の中でも指導者的立場だったんじゃなかろうかのう。

ちなみに丘力居には楼班と言う息子がおったが、丘力居が亡くなった時は年が若かったため、蹋頓がしばらくは代理統括しておったようじゃな。

と言うことで丘力居の解説はこれぐらいぢゃ。続けて能力評価にいくぞい。今回は三国志14とワシ評価じゃ。

能力評価

 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 丘力居(20歳)  120 80 70 50
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓ ↓↓ ↓↓
 丘力居(45歳)  156 112 101 79

f:id:kumajisan:20201003101417p:plain

 

丘力居はこの世代の烏丸では一番名が知れた存在かのう。ワシも一応この世代の烏丸王の中で一番総合力を高くしておるぞい。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 丘力居  80 69 56 52 60

 

 ↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい

 

雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は丘力居じゃな。彼は張純配下で暴れておったが、劉虞の調略によって離反し、結果張純は首を取られておる。

そう言えば師匠、張純の内容読んでいたら劉虞の赴任が霊帝末らしいじゃないですか。霊帝は189年に亡くなっていますから、191年だと張純ももう亡くなっているんじゃないですか?

そこを突いてくるとはのう。じゃが、烏丸の王たちの調略がどの程度の期間かかったのか。そして王たちが離反してどの程度の期間で張純が討たれたかは明言されておらん。どうせなら烏丸勢力として残しておいた方が面白いじゃろ。

またそんな適当なことを・・・真面目に三国志を研究している人達が見たら白目向いて怒りそうですね。

おお、白眼視か、その故事の元となる人物もいずれ出てくるぞい。ちなみに丘力居は三国志14では統率が特に高くなっておる。これは支配しておる落の数から考えても妥当とは思う。じゃが烏丸と言えば騎兵の代名詞にもなったように、やはり本領は戦闘力じゃと思うんじゃ。そう言うことからワシは軍事も高めにしておるんじゃ。それは後に従子の蹋頓にも受け継がれておった、と思うぞい。

そうすることで公孫瓚にも対抗することができた、と言う訳ですね。そう言えば三国志14も公孫瓚と統率にそこまで差がないですもんね。

そうじゃな、そこはコーエーテクモゲームスさんも考えているんじゃろう。さすがじゃ。さて、今回はここまでじゃな。またよろしくたのむぞい。

次も見てくださいね、ではまた!