さて、今日は烏丸の大人である蘇僕延じゃな。彼は遼東属国を拠点としており、千余の落を支配下に置いて峭王を名乗った人物ぢゃ。後に張純を総指揮官として各地を共に暴れまわっておる。
字や生年は不明じゃな。没年は206年かのう?ちょっと不明なのぢゃ。
人物紹介
後に劉虞の調略によって張純が討たれることで、一時の安定が訪れたんじゃ。その後、丘力居が亡くなると、息子の楼班はまだ年が若かったため、武略があると言われた従子の蹋頓が三王の配下を統括するようになったんじゃな。蹋頓は袁紹に和親を求め、彼らは公孫瓚を攻撃し打ち破ったんじゃ。
そして袁紹は彼等に朝廷の命令を偽造し、彼等を単于の称号を与えたんじゃ。
このことから彼らは袁一族に協力するようになったんじゃな。
そして牽招伝に少し蘇僕延に関する記述がある。曹操が袁譚と争っている時に蘇僕延は援軍を送ろうとしておった。以前烏丸突騎を務めていたことから、彼を使者として送り、蘇僕延を単于(王)にして曹操側に協力するように動いておった。ところが遼東の公孫康(公孫度の息子)の配下も丁度蘇僕延の下に訪れ、単于にしようとしていたのですね。
牽招は公孫康配下を脅し理を説明し納得させて、曹操からの単于の印綬を授けることに成功しておるんじゃ。
その後の蘇僕延がどうなったかは明言されておらん。もしかしたら蹋頓と共に袁尚に協力し、再び反乱をしたのかもしれん。その場合戦死したか、公孫康の下に逃げるも捕まって斬られたか、と言う状況じゃのう。
曹操に帰順してそのままならもう少し長く生きたのかもしれんが、正確なところは不明ぢゃ。それでは能力評価を行うぞい。今回はワシ評価のみぢゃ
能力評価
蘇僕延も配下の落は千余家とのことなので、統率は控えめじゃな。他にも目立つ実績はないので、やや抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回も異民族、烏丸の王である蘇僕延じゃな。彼は牽招との縁がある人物じゃな。
牽招と言うと、劉備と刎頸の交わりをした人物ですね?
そうじゃな、牽招のやり方はなかなか強気なやり方じゃな。それぐらいでないと異民族を従えるなんて無理じゃろうがな。
能力が少し控えめなのは支配している落の数が少ないためですね?
うむ、やはり王と言っても格的には一枚落ちる感じじゃしのう。牽招にもその勢いと剣幕に圧倒されておるしな。多少控えめにしておるぞい。
さてそれでは今回はこれまでかのう、ではまた、じゃ。
次も見てくださいね、それではまた!