さて、今回は魏攸の紹介じゃな。右北平の人じゃな。字と生年は不明、没年は193年じゃ。
かなりマイナーな人物じゃが、実は劉虞の命運を握っていた重要な人物なんじゃよ。彼はどんな人物じゃったか、紹介していくとしよう。
人物紹介
魏攸については正史本文には出てこず、裴松之の注釈「魏氏春秋」に名前が見えてくるのみじゃな。
魏攸の名前が出てくるのは袁紹と公孫瓚が界橋で戦い、公孫瓚 が敗れた直後じゃな。この頃公孫瓚と劉虞は険悪な状態に陥っており、この機会に公孫瓚を征討しようかと思い、当時東曹掾じゃった魏攸に話を持ち掛けたんじゃ。
そこで魏攸は、「今後のためには優れた将軍と謀士は必要不可欠で、公孫瓚 の文武に渡る才能は十分頼りがいがある故、多少の悪には目を瞑ってください」と進言しておるんじゃ。
じゃが1年後魏攸が亡くなると、劉虞は結局公孫瓚を襲撃してしまったんじゃ。その後は公孫瓚の所でも語られた通りじゃな。
魏攸が生きておったことで、かろうじて公孫瓚と劉虞の間を取り持っておった。そして魏攸が亡くなったことで劉虞と公孫瓚の関係が壊れたと考えると、出番は少ないが非常に重要な人物であった、と言えるじゃろうな。
さて、それではそろそろ能力評価に行くとしようかの。今回は鄭問之三國志以外は出演しておるぞい。
能力評価
魏攸は先を見通し、公孫瓚と劉虞の間を取り持っておった。外交的な能力があり、必要な進言ができる人物として知謀を高めにしておる。また東曹掾は事務関係の処理を行う文官職なので、政治もそれなりの高さにしたんじゃ。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。今回魏攸じゃな。地味じゃが重要な人物じゃな。
魏攸が生きていれば、もう少し違った未来があったかもしれないんですね。そう考えると確かに彼の存在は大きいですね。
うむ、何だかんだでワシ以外の評価でも知謀と政治はそれなりに高い値になっておるの。ただワシの場合は政治と言うよりは参謀的な役割と見て、知謀の方が高めじゃな。
三国志14で知力と政治が同じ値ってのもちょっと珍しいですね。
そうじゃなあ、ある程度以上の高さで知力と政治が同値ってあんまりいてない気がするぞい。ちなみに劉虞と魏攸の関係は見て取れるが、公孫瓚は魏攸とどんな関係じゃったんかのう。何も資料が無いのが残念じゃな。
両者の間で板挟みにあって苦労していたかもしれませんねw
うむ、さて、それじゃ今日はこの辺りかのう。ではまたじゃな。
次もまた見てくださいね。それでは!