さて、今回は鮮于銀の紹介じゃな。字、生没年は不明ぢゃ。
劉虞が公孫瓚との戦いに敗れ、酷い言いがかりにより処刑されておるのは公孫瓚 の所でも書いている通りぢゃ。
それに前後して名前が出る人物の一人が鮮于銀じゃな。
人物紹介
さて、正史では鮮于銀は騎都尉と言う役職に就いておる。
騎都尉の説明を聞いて、んん?何で幽州刺史の劉虞配下の人物が、皇帝側近の役職に就いているんじゃ?と思った人もおるじゃろう。
実は三国志の史書には載っておらんのじゃが、劉虞は献帝が董卓の傀儡になっていることを憂いて、せめて都に使者を派遣して、臣下の節義を捧げたい、と考えておったんじゃ。
そこで都に使者として誰を送るか、となったのじゃが、この時、田疇と言う人物と一緒に鮮于銀も都に赴いていることが、後漢書に載っておるようなんじゃ(Wiki調べ)。
そしてこれは田疇伝にしか載っていないのじゃが、都で田疇は無事長安にたどり着き、この時に勅命として騎都尉に任じられた、とあるんじゃ。
じゃが田疇はこれを固辞して受けなかったとある。騎都尉は後漢の官職表では員数不明(人数制限が不明)とあるので、複数の人間がなっておってもおかしくなく、恐らくじゃが同時に任命された鮮于銀は、固辞することなく受けたのではなかろうか。
田疇は少し変わり者で、後々曹操に協力はするのじゃが、曹操の与える褒賞や爵位は受けなかったんじゃよ。受けない理由は色々あると思うのじゃが、田疇の紹介の時に詳しく語るとしようかのう。
ともあれ、これで鮮于銀は騎都尉となったんじゃ。じゃが、そこから幽州に戻る前に劉虞が公孫瓚 に討たれたんじゃな。そして鮮于銀達は閻柔を推し立て、公孫瓚 に対抗した、と言う訳じゃ。後は閻柔とかで語った通りじゃな。そしてそれを最後に鮮于銀の記述も途絶えておる。
と言ったところで鮮于銀の紹介はここまでじゃな。能力評価を行うぞい。今回はワシ以外じゃと天舞~三国志正史~のみじゃな。
能力評価
鮮于銀は騎都尉と言う役職になっておることと、後に閻柔等と軍を率いて公孫瓚に対抗しておることから、軍事面の能力を評価しておるぞい。また都に使者として赴いておることから、他の能力もそれなりの値にしておる。
彼と田疇が軍事面の二枚看板じゃったから、その二人がいない時期に劉虞が挙兵して討たれたのは悔やまれる話じゃのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は鮮于銀じゃな。
役職と田疇の話が中心でしたけどね。
しかし、役職はただ書いてあるだけじゃと、役割とかきちんと理解せずにスルーしがちじゃからな。実は今までも説明もう少しした方が良いんじゃなかろうか、と思っておる箇所がいくつかあるんじゃ。
まあそこは何時かまた追記していくとするかのう。鮮于銀は目立つ事績は少ないが、その中でも結構重要な役割を担っていた、とは思うぞい。何気に天舞さんの方も能力そこそこ高いからのう。
軍事面はソコソコありますもんね。師匠の場合は軍事高めで統率はやや低めですね。
ワシの場合、騎都尉は当然騎馬の扱いに長けておる訳じゃから、攻撃的な立場が強いと判断して、軍事の方を高くしておるんじゃな。
田疇も軍事面を高くしているんでしょうか。2人がいない時に挙兵するのは少し無謀ですかね。
まあ二人以外に武将がいなかったとはもちろん思わんが、公孫瓚に対抗できるのはそうはいないじゃろう。この二人はそれができる可能性があったと思うだけに痛恨の極みじゃろうな。さて今日はここまでじゃな。また次もよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまた!