さて、今回は劉虞の配下、と言うには少々言い難い人物の紹介じゃ。
字も生没年も不明じゃ。彼の人物について簡単に説明していこうかの。
人物紹介
さて、この人物実は劉虞の配下ではないんじゃ。元々献帝の官吏として劉虞の下を訪れたんじゃ。
この時丁度董卓が亡くなった時で、劉虞の所領を増やし、六州を治めさせようとした。そのための使者として遣わされたのが段訓じゃったんじゃな。
しかしこの時劉虞もまた公孫瓚と戦い敗れ、捕虜となった時じゃったんじゃよ。
公孫瓚は劉虞が皇帝になろうとしていると誣告し、段訓を脅迫して劉虞を斬刑に処したんじゃよ。
その後公孫瓚は段訓を幽州刺史に任ずるよう上表しておるが、劉虞の処刑に立ち会わねばならんかった段訓の心情は如何程のもんじゃったろうな。幽州刺史と言うのも名前だけじゃったろう。実際その後彼の名前は史書には記述されておらんのじゃな。
ちなみに涼州方面には段熲と言う異民族におそれられた武将がおったが、関係性は不明じゃな。
と言ったところで能力評価じゃな。今回はワシの評価のみぢゃ。
能力評価
うーむ、さすがに目立つ実績がある訳ではないから、あまり高い評価はできんのう。ただ献帝からの使者を務めておることから知謀と政治は多少高めじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、今日は段訓じゃな。とは言ってもあまり語ることはないぞい。
多分ですが師匠、こういう人物は今後もたくさん出てくるんでしょうか。
そうじゃな、4,000人おれば名前だけしか出てこない人物も多数おるぞい。それをあーだこーだと妄想もとい考察するのが楽しいんじゃよ。
いえいえ、多分それ楽しんでるの師匠だけだと思いますよw
そうかのう、姓があって名がありどのあたりの人物か分かれば他人との関係性も見えてくるし面白そうじゃがのう・・・ぶつぶつ。
それにしても使者として赴いただけのはずなのに、処刑しないといけないってスゴイついていない方ですね。
そうじゃなあ、幽州刺史にされても名前だけじゃろうし、戦乱に巻き込まれるだけの迷惑な話じゃったろうからのう。
さて、今回はここまでじゃな次もまたよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまた!