さて、今回から新たな勢力の紹介じゃな。人物は傅睿じゃな。
字、生没年は不明。代郡の太守となっておる。
彼はどんな人物じゃったのか、簡単に説明していこうかの。
人物紹介
傅睿じゃが、代郡の太守になった正確な時期は不明じゃ。じゃが彼は魏で立伝されておる学者の傅嘏の祖父に当たるんじゃな。
傅嘏は生年が209年なんじゃ。仮に209年に父(傅充)が30~35歳ぐらい、祖父の傅睿が60~70歳ぐらいと考えると191年当時、傅睿は40台でとんとん拍子に出世しておれば太守をやっておっておかしくない時期じゃと考えられるんじゃ。そのため、代郡の太守として、入れておいたんじゃ。
実は代郡には郝温、郭端と言う大吏がいたんじゃが、彼らが烏丸の単于と通じておってのう、少し問題があったんじゃよ。最終的に裴潜と言う、これまた魏の名臣じゃが、彼が代郡太守となって彼等二人を誅殺することで問題は解決するんじゃが、代々の太守は何もできんかったらしい。
まあ傅睿が彼等二人が問題を起こしておる時期と重なったかどうかまでは不明じゃが、重なっておる可能性もある、と判断して配置したんじゃ。郝温と郭端も最初から烏丸と手を結び問題を起こしておったか分からんしのう。
さて傅睿に関して語れることはこれぐらいじゃな。と言うことで能力評価じゃ。今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
傅睿は太守としての失策もないので一定以上の政治力があると判断して政治は水準以上じゃな。じゃがそれ以外に目立つエピソードもないので他は並としておるんじゃ。孫の傅嘏は魏の名臣となるが、それはまた別の機会に語るとしよう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は傅睿じゃな。魏の名臣傅嘏の祖父に当たる人物じゃ。
能力的にはあまり見るべきポイントはないですかね?
うむ、目立った実績がないから仕方あるまい、じゃがな勘違いしてはいかんぞ、弟子よ。
そもそも郡太守になるには孝廉に推挙されたりして、実績を積んでいかないと簡単になれんもんなんじゃ。
孝廉に推挙される、と言うのはどれぐらい難しいんでしょうか?
うむ、これは「劉備と諸葛亮 カネ勘定の『三国志』」(柿沼陽平著)に書かれていることなんじゃが、後漢では人口二十万人に一人の割合で年に一度選ばれる、と言うものらしいんじゃ。
弟子よ、お主が仮に後漢に生きておって、これに選ばれる自信はあるかえ?
(ブルブル)いやいや、そんなの絶対無理ですよ。
そうじゃろう、ワシも絶対無理じゃ。まあコネで選ばれておるものもいるじゃろうから盲信は禁物じゃが、普通に凄い連中なのは確かなんじゃよ。
(師匠の場合は能力以前に、人付き合いが嫌いな性格の時点でまずアウトですね。)
ん、何か言ったかいの?
あ、いえいえ、でもそう考えると評価が100を超えていないからと言って軽く見て良い訳ではない、と言うことですね。
そうじゃなあ、誰それはたいしたことない、とか言う議論もたまに見かけるが、少なくとも史書に名前が残る時点で凄い話だからの。己こそ大した人物ではない、と言う意識は常に持っておくべきじゃろうの。
師匠は何時もそれ言ってますもんね。
うむ、とは言え傅睿に関してはこれ以上語ることはないかのう、と言うことで今日はここまでじゃな。
次も見てくださいね、それではまた!