三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

慕容(ぼよう) 字:不明(?~?)

さて、今回は鮮卑族の大人の一人、慕容じゃな。大人であり大帥とも呼ばれた、鮮卑の中央エリアを拠点にしておった人物じゃな。

字や生没年は不明ぢゃ。今回は彼の紹介をしていこうかの。

人物紹介

さて、今回は慕容じゃな。しかし、北方の異民族がここまで中華に侵食してくる理由、これは実は人知の及ぶ範囲を超えておることかもしれんのう。実は西暦100年頃から地上全体が寒冷期に突入しておったらしいことが調査から分かっておるんじゃ。寒冷化が進むと作物は育ちが悪くなり、生産量が落ちる。税収が従来通りじゃと段々税を納めるのがきつくなってきて逃げ出す住民も出てくる。

まあ寒冷化だけでなく後漢末の乱れた政治の影響もあるんじゃが、それだけではない、と言うことじゃな。

そして北方異民族も寒冷化の影響は当然受けており、畜産物の食料を確保するために気候の温暖な地域へ南下していくことで、後漢と接することにより争いが発生するようになったんじゃな。

鮮卑は元々弱小部族じゃったから最初にもっと北方におった訳ではないが、先行で巨大帝国を築いておった匈奴の支配領域をすっぽり制圧したことで、自動的に後漢との軋轢も引き継いでいった、と言う訳じゃな。最終的にはそれが五胡十六国時代へと繋がっていく訳じゃのう。慕容もそんな時代に大帥として後漢との争いに身を投じていった人物の一人、と言うことじゃな。

さて、それでは能力評価と行くぞい。今回はワシ評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 慕容(20歳)  125 65 45 40
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓
 慕容(45歳)  161 95 73 68

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慕容は大帥の一人として活躍したと思われる人物の一人じゃな。そのため軍事が高めぢゃ。鮮卑族の中では一、二を争う高さじゃな。しかし素利達東エリアの人物はしばしば史書に名前が出てくるが、慕容等は臧旻達を撃退した以降名前が出てこんのじゃ。彼らはどこに行ったのかのう。

 

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は鮮卑族の大人の一人、慕容じゃな。

寒冷化の影響は本当にあったんですか?

そうじゃな。中国は北方異民族の南下による国境の混乱。そしてヨーロッパの方ではゲルマン人がやはり国境侵入を何度も行い、ローマ帝国は衰退期に突入しておるんじゃ。

五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスが亡くなったのが西暦180年。丁度後漢黄巾の乱直前、政治的にはローマより少し先に混乱期に突入しておるが、政治の混乱、異民族の侵入など、かなり符合しておるんじゃな。

はー、そうして五胡十六国時代に突入するんですね。

そうじゃのう。そう言えばたまに曹操が異民族を引き入れたことが、五胡十六国時代に異民族の介入を引き起こした原因になった、と言う意見を見るが、こういうのは大概インパクトを与えるために逆張りしているだけの話じゃから、鵜呑みにしてはいかんぞい

えーと、どういうことでしょうか?

うむ、曹操は北方に遠征を行い、烏丸の騎兵を自軍の部隊に編入しているんじゃ。また烏丸、鮮卑の大人を王にしたり貢納を受けたりもしておる。異民族たちを受け入れておるのは確かじゃ、ここまでは分かるの?

はい、分かります。

じゃが、これは別に曹操が初めてではなく、後漢の西暦100年頃には既に、かつて北方で覇権を握っておった異民族である匈奴の一部を内地に移住させ、必要に応じて彼等に軍事協力を求めているんじゃ。実際に誰それと匈奴の部隊が一緒に戦った、と言う記録もある。

曹操もその流れの延長上におるだけの話なんじゃ。そもそも後漢頃の漢民族自体が単一民族ではなく、黄河・長江流域におった色んな部族、民族の集合体なんじゃからな。

ああ、民族を吸収し、取り込んで文化圏を広げていくのが中華のやり方だ、と言うことですね。

そう言うことじゃ。五胡は確かにひどい時代ではあったが、結局そこで民族が融合したことで、隋や唐と言った新たな血と融合した民族による王朝ができた訳じゃからな。

どちらかと言えば、そうやって新たな血を取り込み、活性化していくことが中華の歴史になっていくんですね。

うむ、そうじゃな。あの馬超羌族と言う異民族とのクォーターじゃしな。まあこれはあくまでもわしはそう思ってるだけじゃが、そんなに間違ってはいないと思うぞい。

しかも別に異民族の力を借りているのは曹操だけではない。呉は山越を、蜀は南蛮そして諸葛亮鮮卑族の軻比能と交渉し、協力を仰いでおる。結局皆同じ穴の狢なんじゃよ。その辺りを言わないのは片手落ちじゃと思うんじゃよ。

な、何か師匠ちょっと怒っていますか?

んん?いやいや、そんなことは全然ないぞい(ニッコリ)。

(お、怒ってる、絶対怒ってる!)

じゃがまあそうじゃな、小説とかの創作ならともかく、特定の人物を貶めるために全体像を見せず、ある狭い範囲だけを見せ、それが全てであるかのような誇張を平気でする。良くある手法じゃが、こう言うのを見るとちょっと悲しくなるのう。まあこの話はこの辺りでおしまいじゃよ、ほっほっほ。

しかし慕容等の名前が200年頃に見えないと言うことは、中央エリアの鮮卑族は大人が亡くなり衰退しておったのかもしれんのう。ちょっと悲しい話じゃ。

他には誰か名前が出てこないんですか?

精力的に動いておるのは軻比能じゃな、後は檀石槐の孫にあたる歩度根、魁頭辺りが多分中央エリアを代表するんじゃろうか。じゃがいずれも祖父の檀石槐には器量で及ばん感じじゃな。

さて、今日はこれまでじゃな、次はいよいよ大物が出てくるぞい、ではまたのう。

次もまた見てください、それではまた!