さて、今日紹介するのは韓珩じゃな。
字は子佩、生没年は不明じゃな。そこまで知名度のある人物ではないが、字が分かっているのはなかなか珍しいのう。さて、彼はどんな人物じゃったのか、まずはそれを紹介しようかの。
人物紹介
「先賢行状」で、韓珩は字を子佩と言い、代郡の人とされるんじゃ。彼は清潔純粋で度量が広かった、とされるんじゃ。幼いころに両親を亡くしておるが、兄や姉に良く仕えて世話をしており、孝行ぶりを称賛されていた、と言われるんじゃ。
なかなか、立派な人物のようじゃのう。
さて、彼も出番じゃが、曹操に敗れた袁尚が幽州に落ち延びてきた時のことじゃ。袁尚は袁煕を頼って曹操に対抗しようとしておったが、袁煕と袁尚が部下の将軍の焦触と張南に裏切られ、遼西の烏丸の下に逃亡した。
焦触は幽州刺史を号し、曹操に鞍替えした。この時白馬を殺して血をすすって曹操に鞍替えするように、命令を下したんじゃ。「命令を聞かない奴は斬るぞ」とおどしてのう。
皆逆らうこともできずに順番にその血をすすっていったんじゃが、別駕の韓珩の順番になった時に
「私は袁父子の恩を受けたもの。今主家が滅亡の危機に瀕している時に救う知力もなく、討ち死にする勇気もなかった。この上更に曹操に仕えるような信義に欠ける行為はできない。」
と言ったんじゃ。周りは真っ蒼になったじゃろうな。じゃが焦触もその辺りは弁えており、彼を許すんじゃよ。
後に曹操は韓珩の節操を高く評価し、何度も招聘したが出てこず、家で亡くなった、と言うんじゃ。別駕だったことからなかなか優秀な人物だったんじゃろうなあ。
と言ったところで能力評価じゃな。今回はワシと三国志14のみの評価じゃな。
能力評価
韓珩は別駕であることから、文官として優秀な人物であったようじゃ。また名声も高く、その節度の高さに曹操も気に入っておった。カリスマ性もあると判断して、統率もそれなりに評価しておる。知謀は多少自虐もあるじゃろうが、袁煕と袁尚を救える策を提示できなかったのであろうから多少控えめじゃな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺じゃ。さて、ややマイナーかもしれんが今回は韓珩じゃな。
相変わらず曹操はこういう人物が好きなんですねえ。
うむ、まあ乱世じゃし、騙し騙される時代じゃからのう。特に曹操は多数の敵陣営からの人を受け入れておるから、こう言う人物がいるだけで安心感は違うんじゃろうな。
人を疑いながら生きていかないといけないのは悲しい話ですね。
そうじゃな。じゃがそうでなければ足元をすくわれてしまうのも事実じゃ。
曹操の生前は基本的に、親族以外で様々な軍権を持つ人物はほとんどおらんかった。それぐらい曹操は警戒しておったんじゃ。じゃが、だからこそ曹操は暗殺されることもなく生き残れた、とも言えるんじゃ。
曹操でも日々生きていくのに必死だった、と言う感じが少しわかります。日本の戦国時代も似たような感じだったんでしょうね。
うむ、やはり武勇で負けてなくても暗殺は何時どこで行われるか分からんからのう。曹操とかはそう言う毒とかの研究とかもしておったようじゃの、主に防衛として、じゃが。
うーん、そういう時代に生きてたら、こんなのんびり師匠とお話しできそうにないですね。
まあ権力者以外でそこまでピリピリしないとイカンことはなかろう。まあ庶民は庶民で別の意味で大変な時代じゃったろうがの。
そう言えば、今回師匠の評価とコーエーテクモさんの評価はちょっと似てますね。
そうじゃな文官であることから政治と、名声が高いことからワシは統率で三国志14は魅力が高くなる、と言う辺りはよく似ておるの。
そんなに的が外れてなさそうでちょっとほっとしておるぞい。
昨日の郭図は大分他と師匠違いましたからね。
まああれはどこをどう評価するか、だけの違いじゃからな。ともあれ、韓珩はなかなか優秀な人物ではあると思うんじゃ。
もし袁紹陣営を使うことがあれば義理堅い人物であるし、重宝してやると良いぞい。それでは今日はここまでかのう。次もまたよろしく頼むぞい。
次もまた見てくださいね、それではまたです!