さて、今日は蒋奇の紹介を行うぞい。
字は不明じゃ。後漢書袁紹伝には蒋義渠と言う人物が袁紹軍に出てくるんじゃ。同一人物に見えなくもないが、わざわざ同じ伝の中で言い方を変えるかのう。一応Wikiでは同一人物っぽく書いておるが、ここでは別人としておくかのう。
人物紹介
さて、彼の出番は正史ではわずか一ヶ所じゃな。後は『後後漢』書袁紹伝でもわずかに出番があるのう。
まず正史では淳于瓊が補給部隊の迎えに向かった時のこと、沮授が袁紹に別に将として蒋奇を派遣し、別軍として動かし曹操の略奪を断つべきです、と進言するんじゃ。
しかし袁紹は首を縦に振らなかったんじゃな。結果は淳于瓊の所にも書いてるので語るまでもないが、蒋奇が遊軍として淳于瓊の近くにおれば、どうなってたか分からんかったのう。
もう一か所の出番である『後漢書』の方じゃが、袁紹が官渡で敗戦した折、審配と言う武将の息子二人が曹操軍に捕まったんじゃ。そして審配と仲の悪かった孟岱と言う人物が蒋奇に、審配は息子が敵に捕まっているし絶対に裏切ります、と讒言させたんじゃ。他の人も同調したんじゃが、一人逢紀のみ審配を庇い、罷免しないよう説得したんじゃ。これは『英雄記』にもエピソードが描かれており、袁紹が逢紀に「君は審配と仲が悪かったんじゃないのかいw」と茶化すエピソードが書かれていたんじゃよ。ここではある人物が審配を讒言した時に、としか書かれておらんのじゃが、多分この讒言をした人物が蒋奇なんじゃろうな。
実は審配と逢紀は非常に仲が悪かったんじゃが、逢紀は「私情と国家の大事は別です。(キリッ)」と言ったんじゃよ。
これを見ると非常に立派な話に見えるんじゃが・・・うむ、まあ、いや、知っている身としてはツッコみどころ満載の台詞なんじゃが、その辺りは逢紀の紹介の時に説明しようかのう。
さて、それでは能力評価といこうかのう。今回は・・ワシのみじゃな。
能力評価
蒋奇じゃが、沮授が淳于瓊の補佐として送るよう進言しているので、淳于瓊の足りない要素を補える人物として、軍事を高めに評価したんじゃ。逆に統率は淳于瓊がそれなりの高さなので、軍事よりは少し抑えめじゃな。政治面は讒言させられたりしているのでちょっと低めの評価じゃぞい。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は蒋奇じゃな。
蒋奇じゃな、は良いんですがレイアウト変えられたんですね?師匠。
うむ、実は先日アクセス数が1000人超えたんじゃよ。せっかくなのでちょっとレイアウトを変えてみたんじゃ。前のもあれはあれで結構お気に入りじゃったんじゃが、見易さはこちらのが上かのう。
そうじゃそうじゃ、見てくれた方々、感謝しますぞい。
今回は背景の雲がイイ感じにちょっと壮大ですね。ほとんど師匠の駄文で隠れちゃってますがw
うむ、駄文はいらん言葉じゃ。
ついでにちょっと思いついたこともあるから、また週末の時間ある時にでも駄文を連ねてみるかのう。
(駄文って意識はあるんですねw)本線に戻りましょう。そう言えば蒋奇と蒋義渠は別人なのですか?
色々調べてみたんじゃが、これは良く分からんのじゃ。ただ口述の部分で呼び名を字表記や官職呼びとかにするのは分かるんじゃが、そうでない部分でわざわざ違う表記には・・・しないと思うんじゃよ。
呼び方が色々あると難しいですねえ
まあこう言うのはネタになるから、こちらとしては逆に助かっている部分でもあるんじゃがな、ほっほっほ。
それだからすぐ脱線するんですよ。
そうじゃのう、少し気を付けるとするかのう。ちなみに蒋奇じゃが、実績があればもう少し高い評価に出来るんじゃがな。
沮授って方は吉川三国志でも優秀な参謀って感じでしたね。
うむ、その沮授が推すんじゃからきっと優秀、かもしれんのう。こればかりはわからんからのう。
まあ沮授についてはまた紹介の時に説明するぞい、今日はここまでじゃな、次もまたよろしく頼むぞい。
次もまた見てくださいね、それではまた!