さて、ここからは曹操死後の辛毗について語っていくとしようかの。
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人物紹介
魏王曹丕
曹丕が魏王となった頃に辛毗は侍中になってたんじゃ。史書では曹丕が帝位に登った時に侍中になったとあるが、これはまた標記の誤りであろうな。王から皇帝になる期間が短かったことで情報が錯綜しておったんじゃろうな。
そして辛毗等は魏王だった曹丕を皇帝にするための上奏文を奉ずるんじゃな。
曹丕即位後
曹丕が禅譲を受け、皇帝に即位した後、皇帝としての道を踏み外しそうになった時、臣下の誰もそれを諫められないような状況でも、唯一人辛毗は厳しく曹丕を諫めるんじゃよ。
例として挙げると、曹丕が冀州の士卒の家10万戸を河南の地に移住させ、河南を充実させようとしたんじゃ。ただ当時は蝗の被害がひどく、人民が飢えていたので、移民は良くない、と皆考えるんじゃ。じゃがこの件についてはしかし誰も意見が言えんかったんじゃな。
その中で辛毗一人強く諫めるんじゃな。
辛毗「陛下は士卒の家族を移住させようとしていますが、この計画はどこから出たものでしょうか?」
曹丕「卿は彼等を移住させるのはいけないと考えるのか?」
辛毗「まったくいけないと思います。」
曹丕「朕は卿と議論するつもりはないぞ。」
辛毗「陛下は臣を侍中の職につけてくださいました。どうして臣と議論しないで済みましょう。問題は個人の話ではなく、社稷のことなのです。何故臣を怒っておるのですか。」
曹丕はこれに応えず一旦奥に下がるんじゃ。辛毗は後に付き裾を引っ張ったんじゃが、それを振り払って下がるんじゃな。しばらくして戻ってくると
曹丕「佐治(辛毗)、卿はどうしてあんなに厳しいんじゃ。」
辛毗「今、移住させるのは民心を失う上に、与える食料がありませんからお諫めするのです。」
曹丕は熟考した結果、移住は半数のみにとどめたんじゃ。
辛毗の態度は常にこのようなものであったんじゃよ。曹丕は煙たく思った部分もあったじゃろうが、辛毗の厳しさは己自身にも対しても同様のものであり、それが分かっているから曹丕も意見を聞き入れておったんじゃな。
上記のエピソードのように、全てを曹丕が受け入れた訳ではないが、こう言う剛直の士がいたことで曹丕、そして次の曹叡は大きな失策をすることもなく皇帝としての役割を務めることができたと言えるじゃろうな。
蜀で言うと董允が近い役割になるかのう。良くも悪くも剛直で妥協せず、そして自らそのことを理解しつつ、それが国家のためだからと気にすることもなく己の節義を貫いた人物と言えるじゃろう。
北伐時の辛毗
234年諸葛亮が北伐をしてきた時司馬懿が対峙したんじゃが、厳格な辛毗が節を持ち、防衛に徹するようにと書かれた皇帝からの詔勅を以って、司馬懿たちの出撃を防ぐんじゃ。彼には誰も逆らえず、諸葛亮はいくら挑発しても、ついに魏軍を動かすことはできんかったんじゃよ。
諸葛亮が亡くなると辛毗もまた衛尉に復帰するんじゃ。衛尉は九卿の一つで、宮門の警護、宮中の巡察を司る役目なんじゃ。厳格な辛毗向きの仕事と言えるかもしれんのう。
それからしばらくして辛毗は逝去したんじゃよ。
当時趙嚴、辛毗、陳羣、杜襲の四人は並び称せられておったんじゃよ。いずれも魏国を代表する名臣じゃから覚えておくと良いぞい。
さてそれでは能力評価と行くかのう。今回は3作品とも出演しておるぞい。
能力評価
辛毗じゃが曹操との交渉、そして曹丕に対しての政治的意見を述べておることから知謀と政治が高めじゃ。
ただそれ以上にその剛直さで、軍の統制や曹洪のような人物を制しておることから、ワシの中では統率力を突出して評価することにしておるんじゃよ。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は辛毗後半じゃな。
確かにこちらの話を見ていると、その剛直ぶりが伝わってきますね。
うむ、曹丕は他にも狩猟に行くのを好んだが、辛毗が諫めることで自重するようになるんじゃ。
けど皇帝にあまり強く言い過ぎると、何かあった時に処罰とかで酷いことになりませんか?
確かに、実際それで処刑された人物もおるんじゃ。じゃが上でも書いておるが、辛毗は己にも厳しく、落ち度を見せることはなかったんじゃな。
どんなに気に入らない人物でも、隙を見せなければ処罰なぞできようもない。
逆にそれだけのことをやっているから、堂々と意見できる、と言うもありそうですね。
そうじゃな、引け目のようなものがないから、意見を述べることにも迷うことがない、それができるのは本当に凄いことなんじゃよ。
そう言えば、司馬懿の軍は演義と同様、諸葛亮の軍には勝てないんでしょうか?
そこはそう単純な話ではないんじゃよ。お互い陣を構築し対峙している状態なのは同じじゃろ。
この場合、陣から出て相手に攻撃をした方が負けるんじゃよ。陣と言うのは1つの砦であり、きちんと防備を固めておけば非常に有利なんじゃ。
もし正面から守りを固める陣を攻撃しようと思った場合、孫子では5倍ぐらいの兵力が必要と、確か言ってるんじゃ。
この時の司馬懿率いる魏軍は蜀軍と比べて精々1.2~1.5倍程度の兵力しか持っておらん。これで相手の挑発に乗って攻めるのは愚の骨頂なんじゃな。
なるほど、諸葛亮も自ら攻めずに挑発だけしていると言うのは、攻勢側の不利を理解しているから、と言うことなんですね。
そう言うことじゃ、諸葛亮も司馬懿に対して自ら攻めることはやらんのじゃ。基本動いた方が不利じゃからな。
そう考えると辛毗の果たした役割は非常に大きかった、と言うことになるんですね。
うむ、司馬懿も分かっていた部分はもちろんあったじゃろうが、関中の荒くれ軍を抑え込むには司馬懿ではちと苦しい部分もあったので、辛毗の存在は非常に大きかった。
じゃからこその統率の評価になるんじゃな。彼が副将になることで袁紹の統率を補うこともできる。そう考えると、袁紹軍においても彼の存在は非常に大きいんじゃよ。
袁紹軍は人数多いですし、優秀な人物も多いので本当に強いですね。
うむ、まだ袁紹陣営は優秀な人物が出てくるから楽しみにしておるんじゃよ。
さて今回はここまでじゃな、次もまたよろしく頼むぞい。
次もまた見てくださいね、それではまた!
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