三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

張導(ちょうどう) 字:景明(?~?)

さて、今回は張導じゃな。彼もまた知ってる人は少ないじゃろう。有名ではないが字も分かっておるし、意外なつながりを感じさせる人物もいるんじゃよ。 

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は張導じゃな。

この方も知らないですね。誰と繋がりがあるのでしょうか?

うむ、以前檀石槐の説明を行ったことを覚えておるか?

 

kumajisan.hatenablog.com

鮮卑族の王の話ですよね。彼と繋がりがあるのですか?

檀石槐自身とは関係ないが、彼を攻めた後漢の方に臧旻と言う人物がおったであろう。彼と関係があるんじゃ。

それは確かに意外な部分の繋がりですね。

まあもしかしたらそれだけに留まらんかもしれんがのう。それでは人物紹介といこうかのう。

人物紹介

さて張導じゃが、一番最初の出番は三国時代よりかなり前の時代じゃな。

『水経注』によると健和3年(149年)に彼は鉅麓の太守になるんじゃが、漳水の渡し場で氾濫が起こり、農作ができなくなった時に水の流れを考慮して堤防を修復し、水路を正した、とあるんじゃ。

なかなか有能な行政官と言うところじゃのう。

ただ149年当時の事績と考えると191年頃は相当高齢だった、と言うことが考えられるのう。もしかしたら年号を間違っておるのかもしれんの。

続けて、正史本文及び『英雄記』で袁紹は張導、郭図、高幹らを遣わして韓馥を説得し、冀州を譲渡させた、とあるんじゃ。

正史本文では上記の内容は臧洪が袁紹(配下の陳琳)に宛てた手紙に書かれていることなんじゃよ。臧洪は臧旻の息子で、張超と言う人物の配下だったんじゃ。

その後、紆余曲折あって臧洪は袁紹と敵対するんじゃが、袁紹は臧洪を降伏させようと陳琳に書簡を書かせたんじゃ。

詳細は省くが、陳琳に対する返書の中で

「昔、張景明は自ら檀に登って血をすすって誓い、(袁紹の)命を受けて東奔西走し、韓馥から冀州牧の印を譲らせるのに成功したのでした。(しかし)彼は任命を受けて天子の下に参内し、爵位を賜った、と言う理由だけで情けを被ることもなく、一族皆殺しの災難を受けています。」

と書いているんじゃ。これは日本で言うと頼朝の意向を無視して朝廷の官位を勝手に受けた義経と同じような状況だった、と言うことなんじゃろうか。袁紹の許しを得ることなく朝廷から爵位を得たことで処罰された、とすると確かに厳しい気がするのう。これが袁紹の位を凌ぐ官位(と言っても大将軍の上って実質ないがのw)を得た、とか言うのであればまだ分かるがのう。

ちなみにこれは完全に個人の妄想なんじゃが、張導は臧洪が慕っていた張超と同姓であるし、両者の間にはもしかしたら族関係があったのかもしれんのう。張導に対する臧洪の発言は何となくこだわりを感じさせるんじゃよ、ほっほっほ。

ともあれ、少々理不尽な理由で張導は殺害されたことになるかのう。若き日?のエピソードと言い、結構優秀と思えるだけに残念な話じゃ。

それでは能力評価といこうかのう。今回はワシ評価のみじゃ。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 張導(20歳)  40 25 95 110
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 張導(45歳)  68 51 128 145

 f:id:kumajisan:20201027001718p:plain

 

張導じゃが若き日の堤防修復などのエピソード等から政治面が評価できると考えられるんじゃ。また冀州牧を袁紹に譲るよう説得するメンバーにも含まれているように、知謀面の評価も高くなると考えられる。

袁紹の処罰は残念な話じゃ。過失自体ほぼなかった話じゃろうからな。

 

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。改めて事績を調べてみると、惜しい人物じゃのう。

袁紹麹義と言い、結構有為な人材を斬っていますね。

そうじゃな、郭嘉や荀彧が曹操袁紹との差として、人材の使い方とかを挙げておったと思うが、実際問題曹操ほど使いこなせておらんかった、と言うことになるのかのう。

能力の話ではありませんが、張導は張超や張邈と何か関係があるんでしょうか?

正直そこは分からんのう。まあ張姓の人物は多いので疑い出したらきりがないからのう。出身地が分かれば、その辺りはもう少し精査できると思うがの。

分かりました。それにしても149年頃に30ぐらいと考えると191年では70を超えている計算になりますね。

そうじゃな、袁紹や臧洪から見れば親世代とかになるのう。そこまでして袁紹が処罰しないといけなかった理由は、ちょっと気になるのう。

その辺りは文献が無いと調べようがありませんね。

そうじゃな、まあ世の中の謎、全てが解けたとしたら、後には絶望しか残ってないことになるからのう。

謎には謎としての存在意義がちゃんとあるからこそ妄そ、いやいや想像の翼を広げることができる、これはこれで良いんじゃよ、ほっほっほ。

うーん、少しもやもやする部分はありますけどね。

まあそれはそうじゃな。さて、今回は悲運の人物張導については以上じゃな。また次もよろしく頼むぞい。

次もまた見てくださいね、それではまた!