三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陶升(とうしょう) 字:不明(?~?)

さて、今回陶升じゃな、字や生没年は不明じゃ。

陶升は黒山賊の一味ではあったんじゃが、他とは違う人生を歩んだようじゃな。実はすでに少し語っておるので知ってる人もいると思うが、彼の人物像について語るとしようかの。 

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は陶升の紹介じゃな。

確か一度出てきていましたよね。

うむ、彼は途中で賊としての行動に疑問を持って黒山賊の連中とは袂を分かつんじゃよ。

彼も出番自体は少ないが、その中で見せた行動、そして与えた影響力はかなり大きかったと言えるんじゃ。それでは彼について紹介を行おうとしようかのう。

人物紹介

さて、陶升じゃが、彼は魏郡内黄の人であり、内黄の下役人であったと言うんじゃ。193年に魏郡の兵が黒山賊と手を結び、謀反を起こした時に彼もその乱に加わり、自ら「平漢将軍」と名乗ったんじゃ。

史書によると反乱に加わったものの、鄴が黒山賊によって攻められたおり、彼は善良な心を持っていたため、単身部下を率いて西方の城壁を乗り越えて街へ入り、州の役所の門を閉鎖して守備し、他の賊どもを内部へ入れなかった、とある。

見事な機転と統率力と言わねばならんのう。じゃがちと引っかかる点もいくつかある。それは後程語るとするかのう。

さて、その後、陶升は袁紹の家族や残っていた官吏たちを馬車に載せ、身をもって護衛し、斥丘まで送り届けたんじゃよ。斥丘は鄴より東の方にあり、公孫瓚と戦っておった袁紹軍の陣地近くにあったんじゃろうな。

そして袁紹は陶升を建義中郎将に任じるんじゃよ。これは結構すごいことで、例えば後に魏を代表する5将軍の一人として名を馳せる張郃が同時期か少し後ぐらいに公孫瓚討伐の大功があったとして寧国中郎将に任じられておるんじゃ。

その張郃と並ぶぐらいの評価をいきなりされておる、と言うことじゃな。じゃがその後彼の名前は史書から姿を消すんじゃよ。どこかで戦死したのか、この時の一回こっきりで後は活躍できなかったのかは分からんのう。

さて、気になる部分じゃが、まず彼は善良な心を持っていた、とあるんじゃが、ここが引っかかるんじゃよ。

彼は元々魏郡で反乱を起こした時に「平漢将軍」と名乗っておる。「平漢」つまり漢を平らげる、と言うような意味かのう。元々黄巾賊等の農民反乱は後漢王朝の腐敗政治を打倒するために立ち上がった組織じゃから、彼がこういう名号を使ったのには何も不思議はないんじゃ。

しかし黒山賊の実態はどうじゃったろうか。彼等は後漢王朝に降伏し、壺寿と言う冀州牧まで送り込まれて、官軍の一味として行動しておる。

理想と現実とのギャップじゃな。張燕も賊のままでいいはずがない、と言う現実的な考えの元そういう行動に至ったんじゃろうが、それは陶升には許せる行動ではなかったのではなかろうか。

そうなった場合に陶升が頼るべきは誰か、これは董卓の擁立した献帝を否定し、新たな皇帝を建てようと考えておった袁紹以外にあるまい。

善良な心の持ち主であったと言うような曖昧な考え方より、現在の漢王朝を否定する袁紹に付く。こちらの方がずっと本人の行動原理にも則っておると思うがどうかのう。まあ間違っておるかもしれんが、そこは所詮、素人の浅学と言うことで許してくれい。

さて、と言ったところで人物紹介は終わりじゃな。続いて能力評価と行くぞい。今回もワシ評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 陶升(20歳)  70 100 85 55
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓
 陶升(45歳)  101 134 117 84

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陶升は袁紹の家族や官吏を守った時の行動力と判断力、また身を挺して彼等を馬車で移送する等の実績から統率と知謀を高く評価しているぞい。その後の活躍が見れれば、更なる高評価もあり得たんじゃろうが、それが無かったのはちと残念じゃのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、陶升の能力評価じゃな。

ほぼ一回の活躍で終わってしまっているのが残念ですね。

じゃがその一回で中郎将になっているのじゃから十分と言えば十分じゃろう。顔良文醜は将軍ではあっても全く実績が見えてこんからのう。

確かに三国以外の勢力の人物は実績が少ないですもんね。

そうじゃな、張郃ですら袁紹時代の具体的な実績が見えてこん。もっと極端なことを言うと三国の中でも蜀は実績が分からん人物が多いんじゃよ。

えっ、そうなのですか?

うむ、まあそう言う情報が不足している中でアレこれ妄そ・・・いやいや想像しながら能力評価をしていくのも楽しいもんじゃて。

師匠の妄想力だけはなかなかマネできませんからね(マネしようとも思いませんけどw)

これ、読めておるぞい、まあ別にこんなのはマネせんでええがのうw。

さて、これで後冀州方面で暴れておる黒山賊はあと一人じゃな。この勢いなら三連休中に劉備達まで、といきたいとこじゃが、今日はこれから出かけて、月曜までは戻らんから、記事の書き込みは無理じゃのう。

あら、スマホから書き込めば良いじゃありませんか?

いやいや、記事はそれで書けるかもしれんが、資料となる書籍がないではないか、全部持ち歩くとなったら10㎏近くなるんじゃなかろうか、そんなの持ち歩けんぞい。

ああー、そうでしたね。と言うことは長期休みとかで家にいない時は記事が書けないんですね。

そうじゃな。まあその辺りが毎日上げることに拘りはない、と言った理由の一つじゃな。

さて、今回はここまでじゃな。次は月曜更新の予定じゃが、また見てくれると嬉しいぞい。

次も見てくださいね、それではまたお願いします。