さて、劉備の紹介3回目じゃな。
1回目は軍事面、2回目は知略・政治面の紹介をしておるぞい。
今回はそれ以外のエピソードと能力評価を載せていくぞい。
それでは劉備について紹介していこうとするかのう。
人物紹介
さて、劉備の紹介の3回目じゃな。
こちらではその他のエピソードって言ってましたよね。そんなに変わったエピソードがあるでしょうか?
うむ、まあこれはワシも実際に挙げていかんと分からんのう。
師匠も結構行き当たりばったりですよねw
いやいやそこは臨機応変と言ってくれい。言葉と言うのは案外力があって、それに人は囚われ易いものじゃからのう。
うーん、そうですね。気を付けます。
うむ、それではさっそく劉備のヘンなエピソードの紹介と行こうかのう。
その他のエピソード
さて、今まででは語られることのなかった、少々変わった話の紹介じゃな。
これは『英雄記』にて語られておることじゃが、劉備は董卓が権力を掌握する前後、都で一時曹操とつるんでおり曹操が都から脱出する時に一緒に沛国へ向かい、兵を募集し軍勢を糾合している、とあるんじゃ。そしてそのまま劉備も兵を挙げて董卓討伐に向かった、とあるんじゃよ。
が、これは他のどこにもそのような記述がないので、恐らく間違いじゃろうな。と言うのもこの189年から190年頃はまだ黄巾賊残党も活発に動いており、劉備が挙兵して黄巾賊の討伐を行ったのはこの189年頃の可能性もあるんじゃ。丁度黒山賊と黄巾賊が幽州と冀州の境界付近で暴れておった時期でもあるからのう。
そうなると曹操と共に沛国の方で動き回ることはちと不可能じゃろうな。
また正史本文では、陶謙が曹操に攻められ、田楷に危急を告げて救援を求めた時、劉備と共に救援に向かうのじゃが、劉緯はこの時私兵1,000人、烏丸族の騎兵をいくらか抱えていたが、ここに飢えた民衆数千人を無理やり配下に組み入れておるんじゃ。
またこれも『英雄記』であるが、劉備の軍が広陵におった時、飢餓のために困窮し、軍吏兵士は身分の上下に関わらず、食らいあった、とあるんじゃよ。
序盤の頃の劉備は結構兵の頭数をそろえることぐらいしか考えておらず、兵站の概念とかがあまりなかったのかもしれんのう。そのために確たる根拠地を持つことができず、あちこち彷徨うことになったのかもしれんのう。
上の飢民を無理やり兵に組み込んでいることから分かる通り、正史の劉備は別に聖人君子と言う訳ではないんじゃよ。良く妻子を捨てて逃げておるし、赤壁前に民衆を引き連れ逃げた時も民衆を捨てて逃げたりしておる(ちなみに曹操軍はこの民衆を捕虜にしておるが、虐殺はしていない)、劉璋を攻める時は劉備の監視役であった楊懐を呼びつけ難癖をつけて斬り、彼の軍の将士や兵士の妻子を人質に取って軍を掌握し、成都へ向けて進軍しているんじゃよ。
他にも張裕と言う人物は劉備の不興を買ったため処刑され、劉備の皇帝推戴に反対した費詩も左遷されておる。このように劉備も普通に感情を持ったいっぱしの乱世の英雄であった訳じゃ。
ワシはこれぐらいできねば乱世では生き残れない(劉虞のように)、と思っておるし、むしろ劉備の人間臭い面が見えて好きなんじゃが、やたら劉備だけ演義のイメージを引きずって、聖人君子のように見る人がおることに関しては違和感を感じるんじゃよ。
それは余りにも甘っちょろすぎるんではないか、と。それで生き残れるなら、劉虞も死んでおらんじゃろうし、もっと世界は平和じゃと思うんじゃよ・・・。
とちと愚痴っぽくなってしまったのう。それではつづいて劉備の能力評価と行こうか。今回はもちろんどのゲームにも登場しておるぞい。
能力評価
劉備じゃが、一番の強みはいくら負けても配下は離反せず、気が付けば立ち直っておる点と、戦局の見極めの鋭さじゃな。勝てそうな時、勝てそうにない時の見極めが非常に鋭く、負けないと思った時の粘りは非常に優れており、これが統率の高さに繋がっておるんじゃ。
また、軍事はそこまで高くないが、劉備陣営には関羽や張飛、趙雲等軍事に優れた武将がおり、彼等を副将として配することで十分補えるんじゃよ。イメージとしても彼が最前線で剣を振っているイメージとはちと合わない感じじゃしのう。
知謀は策略で一定以上の成果を残しておるが、タイミングを逃す場面もあることから最上級とまではいかんかった、が将として見れば十分の評価じゃな。
政治に関しては目立つ施策等はなかったため、こちらは地方太守で治績を残した、と言う武将と同等クラスの評価としておるぞい。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、劉備の能力評価じゃが、イメージ通りじゃったかのう?
そうですね。師匠は魅力の項目がないのと、やたら粘り強く戦えることを強調していたので、統率が高いのかな、とは思っていました。
うむ、まあその辺りは何となく読んでおったか。
他はどれぐらいか分からなかったのですが、三国志14や天舞さんのをみると何となく納得ですね。
そうじゃな、他は超一流、とまではいかんが、十分戦場に連れていける評価じゃな。
どちらももし「魅力」の項目が無かったら、統率がもう少し上がったのでしょうか?
そうかもしれんのう、じゃがワシ程上がるかは分からん。この劉備の統率は恐らく君主の中では最高値クラスじゃと思うぞい。
ふむ、その辺りはまた出番が回ってきた時に説明しようかの。
うーん、気になりますね。それにしても鄭問之三國志は思ったよりも高くない感じですね。
そうじゃな、ワシの「統率」や他2作品のような「魅力」のような項目がないことが原因かのう。ただそれ抜きにしてもちと低い感じはするのう。
この数値はちょっともやもやしますね。
そうじゃな、せめてワシのように統率が高ければのう。鄭問さんのは全体的に蜀の武将は抑えめなんじゃよ。
まあ評価は人によって基準が違いますからね。とは言えやぱりちょっと違和感は感じてしまいます。
うむ、じゃがまあそれはワシの評価でも一緒じゃよ。ワシの評価に対して違和感を感じる人は絶対出てくるじゃろう、いなかったら怖いぞい。
それも分かります。
ただまあ評価の偏りはしょうがないとしても、ろくに調べず手を抜くような真似はしないように注意していくぞい。
さて劉備の項目はそろそろ終わりじゃな。このやり方は案外良いもしれんのう。有名武将の時はもう一度試しているとしよう、と言って次は関羽、続いて張飛と来るんじゃがな。
それではまた見てくだされい。
次も見てくださいね。それではまたです。