さて、関羽の紹介3回目じゃな。
さて、3回目は関羽らしからぬエピソードと、能力評価を中心に説明を行っていくとしようかのう。
人物紹介
さて、関羽の紹介の3回目じゃな。そう言えば1回目、ちょっと尺の問題があったんで後から関羽の戦闘記録をざっくりと追加してしもうたが、すまんかったのう。
相変わらず行き当た・・・臨機応変にやってるんですから仕方ないですね。後、今回はちょっと変わったエピソードと能力評価になるんですね。
そうじゃ、関羽にもちと変わったエピソードがあるんじゃ。その辺りを紹介していくとしようかのう。
その他のエピソード
さて、1回目と2回目では語られることのなかった、少々変わった話の紹介じゃな。
関羽の色恋沙汰?
『献帝紀』で秦宜禄と言う人物が呂布の下から袁術のもとへ使者に向かったんじゃ。その時、秦宜禄の妻の杜氏は下邳にいたんじゃが、袁術の下に赴いた秦宜禄は、何故か袁術の下で別の漢王朝の娘と結婚しておるんじゃよ。
呂布が下邳にて曹操に包囲された時、関羽は何度も曹操に願い出て、秦宜禄の元妻である杜氏を妻にしたいと願ったんじゃ。
曹操は関羽が何度も願いに来るので、彼女が美貌かどうかあやしみ、城が陥落すると彼女を目通りさせ・・・なんと彼女を自分の側妾にしてしまうんじゃよ。さすが、英雄色を好む、と言ったところか。
実は関羽、これが原因で曹操の下に留まらなかったんじゃなかろうかw
関羽の剛勇エピソード?
関羽は以前流れ矢に当たり、左肘を貫通されたことがあったんじゃ。傷が癒えてからも曇りや雨の日には疼き痛んだんじゃ。医者に見せると「矢じりに毒が塗ってあり園毒が骨にしみこんでいますから、傷口を開けて骨を削って毒を取り去らなければなりません。そうすればこの痛みはなくなるでしょう。」
と言うとすぐに関羽は肘を伸ばして医者に切開させたんじゃ。丁度宴会の最中だったんじゃが、その状態で関羽は痛むそぶりも見せず、関羽は焼肉を切り分け酒を引き寄せてた依然として談笑していたんじゃ。
じゃがこれはさすがにのう。関羽の豪胆さを示したいんじゃろうが、宴会の最中にわざわざ医者に肘の状態を見てもらったりは普通せんじゃろ。どう考えても不自然じゃよ。しかもその場で肘を斬り開いておる状態で肉を切り分けたりなどもできんじゃろうし、肘を切り開いても平気だった、と言うのはあったにしても、それが宴会の場であった、と言うのはさすがに創作臭いと思えるが如何じゃろうか。
あり得ないエピソード
『山陽公載記』によると、馬超が劉備の厚遇してくれることで勘違いし、劉備を字で呼ぶようになったので(目上の者を字で呼ぶのは非常に失礼)、関羽と張飛は非常に腹を立てて彼を殺したい、と願い出るんじゃよ。劉備はなだめるんじゃが二人は、ならば馬超に礼儀を教えてやる、と息巻いたんじゃ。
次の日大会議を開き、馬超を中に招き入れると劉備を守るように関羽と張飛は刀を持って侍立し、馬超をにらみつけておるんじゃ。馬超は己の失態に気が付き、二度と劉備を字で呼ばずに、敬意をもって劉備に仕えた、とあるんじゃ。
しかしこの話は明らかに嘘じゃな。そもそも関羽は遠く荊州の地にいたのじゃから馬超と会うこともできん。裴松之もこの話はでたらめじゃと書いておるがその通りじゃと思う。史料にはこう言う信用できない話も交じっておるから注意が必要なんじゃよ。
だいたいこれで関羽のエピソードは終了じゃな。続けて能力評価と行くぞい。もちろん関羽は全作品に出演済みじゃ。
能力評価
関羽じゃが、一番の強みはやはりその剛勇さじゃな。顔良を敵陣の中で刺し殺し、様々なエピソードと共にその勇猛さが魏呉の人達にも知れ渡っておる。
また、荊州で魏呉相手に反乱を扇動しており、知謀も高めじゃな。正直これだけ軍事が高い武将で、知謀までこの水準に達している武将はほとんどおらず、奇襲部隊を率いる将としては最高クラスの一人じゃろう。
統率は敗戦がやや多く、他の武将との軋轢が多いため、軍事や知謀よりは抑えめじゃ。じゃが奇襲部隊中心の運用で考えれば問題ないじゃろう。そもそもこのままでも普通に戦えるが、更に統率が高い武将を副将に配置することで万能的に使うことも可能じゃ。
政治に関しては孫呉との外交等で失策もあったりするので、それなりじゃな。ただ武官として考えると問題ない評価ではあるぞい。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、関羽の能力評価じゃな。
そうですね。三国志14はまあ元々が演義ベースですから分かりますが、天舞さんは師匠と方向性が真逆ですね。
そうじゃのう、ワシの場合は奇襲部隊を率いる将として評価しておるが、天舞さんは正面からの圧倒的な強さを表しておるのう。
師匠の場合は人徳の項目がないことも影響していますからね。天舞さんでも関羽の人徳はそこまで高くないですからね。
鄭問さんは武勇以外全体的に抑えめな感じに見えますね。
うむ、基本的に都督級での実績が無く、一武将としての活躍では鄭問さんの場合、武勇以外上がらんことが多いんじゃよ。
なるほど、そうなると初期からいる武将は全体的に統率は低めの方が多いんですか?
うむ、それにしても関羽はもう少しだけ高くても良いように思うんじゃがな。一応荊州の軍事を任されておったんじゃからのう。
そうですね、それにしても色んな評価があって面白いですね。
うむ、武将ファイルとかはよく買うが、あれを眺めてるだけでも十分面白いからのう。
さて、関羽は紹介はこれで終わりじゃな。次は張飛じゃよ。またよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。