さて、今回は田豫の紹介じゃな。
田豫は字を国譲と言い、漁陽郡雍奴県の人じゃよ。
年少の頃に劉備に従っており、劉備は田豫を非常に高く評価していたんじゃ。しかしその彼が気が付けば魏の臣下になっておるんじゃよ。
人物紹介
さて、今回は田豫の紹介じゃな。
演義ではほとんど出番なかったですけど、確かここでは何度か名前が出ていましたよね。確か結構優秀な人と言ってましたよね。
そうじゃな、主に異民族討伐などで力を発揮した人物じゃよ。じゃがそれだけでもない。
劉備との関係も気になるところですね。
うむ、そちらは明日にでも紹介するぞい。今日はまずは主な軍事面の実績の紹介じゃな。
軍事面の実績
対王門 〇 (東州)
対烏丸 〇
対軻比能 〇 (鮮卑討伐1)
対智鬱築鞬 〇 (鮮卑討伐2)
対軻比能 △ (鮮卑討伐3)
対骨進 〇 (山賊)
対高艾 〇
対周賀 〇 (成山)
10戦 9勝0敗1分
およそ以上じゃのう。異民族相手とは言え、驚異の勝率じゃのう。彼の場合は軍事能力が高いというよりも、知略をめぐらして相手を弱体化させる、深い読みができるのが一番の強みじゃな。
主な軍事内容
東州の戦い
幽州の地元に帰った後、公孫瓚は東州令代行としたんじゃよ。この時に公孫瓚の将じゃった王門が背いて袁紹に従ったんじゃな。この時田豫は王門を言い負かし、王門はすごすごと引き返すことになったんじゃ。
代郡の戦い
曹彰が代郡を征伐したとき、田豫を相として任命したんじゃ。軍が易水の北に駐屯した時、敵の伏せておいた騎兵がいきなり攻め込んできたんじゃ。軍は騒ぎ乱れ、なすすべを知らなかったんじゃ。この時田豫は地形を利用し、車をめぐらして円陣を作り、弓と弩を引き絞って内部に待機させ、空いている場所を見せかけの兵で埋めたんじゃ。
これにより相手は攻め込んでこれなくなり、引き揚げたところを追撃して散々に打ち破ったんじゃよ。
こうして進軍して代郡を平定したんじゃが、これはすべて田豫の立てた策略のおかげだったんじゃよ。
鮮卑との戦い
素利と軻比能が争ったときに、もし軻比能が併合したら強大になり、よりひどい被害を与えることになるだろうと、精鋭の兵を指揮し、敵地深くに侵入したが蛮族は数が多く、軍の前後を荒らし、帰路を遮断したんじゃ。田豫はそこで軍を前進させ、敵から離れること10余里で屯営を作ると、牛馬の糞をたくさん集めて燃やしたんじゃ。火が上がっていることでまだそこにいるもの、と思っておる間に田豫は別の道を伝って引き揚げたんじゃよ。
賊が気が付いて追撃してきて、馬城というところで十重二十重に包囲したんじゃ。田豫は司馬に命じて南門から歩兵・騎兵を指揮して出て行かせたんじゃ。
敵の目がそちらの軍に向けられ全軍駆けつけている間に、田豫は精鋭を指揮して北門から出撃、敵の不意を突いて攻撃を仕掛けたんじゃ。敵の軍勢は算を乱し、皆弓や馬を捨てて逃げだした。20余里にわたり追撃を行い、多くの敵兵を倒したんじゃよ。
成山の戦い
この頃、殄夷将軍となった田豫が呉の大将、周賀を成山に討伐し、殺害したんじゃ。
この時は孫権がちょうど公孫淵の下に使者を送って同盟を結んでおったんじゃよ。曹叡は呉の軍勢が多く、海を渡らないといけないことでいったん出撃させておった田豫に軍引き上げの詔勅を下したんじゃ。田豫は連中が帰還する頃は丁度年も暮れて風は強いこと等から、成山に向かうに違いないと計算し、成山周辺の地形を調査し、島々に至るまで要害の地を遮り、兵を駐屯させたんじゃ。
呉の船は田豫の読み通り悪風によって山に衝突し、多くが沈没したんじゃ。しかし田豫の軍が駐屯しているため岸にたどり着いても逃げ隠れすることもできず、全員捕虜になったんじゃよ。
合肥新城の戦い
孫権が10万の兵で新城を攻撃した時のことじゃ。征東将軍の満寵が諸軍を統率してそれを救援しようと思ったんじゃ。その時田豫は「賊は軍勢をこぞって大挙して押し寄せており、小さな利益を取ろうとしているのではなく、新城をかたに大軍を招き寄せようとしているのです。自由に城を攻撃させて、その鋭気をくじくべきです。こちらも相手に合わせて出撃し、鋭鋒を争うべきではありません。城を落とすことが出きなければ軍勢は疲弊しますので、そこで攻撃すれば大勝利を得られましょう。もし賊がこちらの計画を見て取れば、必ず城を攻めずに、自ら退却するでしょう。」と進言したんじゃよ。そして田豫の進言通り、様子を見ていると孫権は退却したんじゃな。
その後、再び呉が侵入したが、田豫は出撃してこれを防いだんじゃ。すると夜に賊がまた来たぞ、と諸軍が慌てふためいたんじゃ。しかし田豫は横になったまま起きもせず、「あえて動く者があれば斬る」と命令したんじゃ。結局賊の襲来などなかったんじゃよ、恐るべき洞察力と胆力じゃのう。
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雑談ぢゃ
さて、田豫の戦闘実績じゃな。
うむ、特に成山で冬季の風の強さなどから敵の航路を読み切って、あらかじめ陣を敷いて敵を捕虜にするとか、あれを思い出さんか?
あれというと・・・あ、赤壁の戦いですね!?
そうじゃ、演義の方はあくまでも創作じゃが、こちらは史書にも書かれておる、まあ事実と考えてよい話じゃろうな。
異民族相手が多いですが、呉とかを相手にしてもその読みと策略は健在なんですね。
そうじゃな、その後の孫権軍との戦いでもあの満寵に意見できるぐらいの深い洞察力の持ち主なんじゃ。
さすがに劉備が見込んだだけのことはありますね。
しかしこの手の武将が多くいるあたり、魏は本当に恐ろしい国じゃよ。誰かが倒れてもその後がどんどん出てくるわけじゃからな。
蜀は段々しりすぼみになっていってるので、うらやましい限りですね。
こればかりは国力に大きな差があるからのう。人口が多ければ当然それに比例して優秀な人材も出てきやすいじゃろうからの。
蜀も呉もよくあれだけの期間生き延びれましたね。
まあ、地形とかの効果が大きかったからのう。それがなければもっと早く決着はついておったろうな。
私が読んでる小説もそろそろ終わりが近そうなんですよね。孔明の寿命が尽きそうです。
うむ、小説はその辺りで終わるのも多いのう。まあ、ここではその後の人物もきちんと紹介していくぞい。
さて、それではそろそろ今回は終わるとするかのう。次は軍事面以外のエピソードと能力評価じゃな。
次も見てくださいね、それではまたです。
1⃣・2⃣