さて、張郃の紹介2回目じゃな。
ここでは自分が張郃の戦いで気が付いたことなどをまとめてみるとしようかのう。
人物紹介
さて、今回は張郃の紹介2回目じゃな。
今回も軍事面の詳細の続きになるんでしょうか?
続きじゃが、今回は今までさらっと流されていた部分に対して、ワシなりに調べ上げてこうだったんじゃないか?と考察した内容が主体じゃ。
じゃから内容はかなり独断と偏見の塊じゃ。いや、今までもそうじゃがな。
ふむふむ、予防線を張ってきましたねw
おぬしいやなことを言うのう、がまあそうじゃな。鵜呑みにはせずにこう考える人もいるんだ、ぐらいの生暖かい目で見てくれるとありがたいぞい。
とりあえず紹介の続きをお願いします。
張郃の戦闘に関する考察
街亭の戦い
有名な戦いじゃが、単純に馬謖のやらかしで片付けられることが多い。
しかしこれ、実は言うほど単純な話ではないと思うんじゃよ。
そもそも蜀にしてみると街亭で待ち受けるのは、魏に侵入されすぎなんじゃな。元々街亭のすぐ東には秦嶺山脈から枝分かれし、南北に走った山脈があるんじゃよ。馬謖たち蜀軍が張郃を防ぐならこの山脈の地形を利用した方が圧倒的に有利なはずなんじゃ。
これは張郃の進軍が予想より遥かに早かった可能性が高いんじゃな。元々張郃は夏侯淵配下として電撃戦の主軸を担っておった武将の一人じゃ。行軍速度を上げて相手の予想を超える速さで敵に主導権を握られんように動く、なんてのはお手の物じゃ。
そこで馬謖は街亭を戦場と設定し、魏軍を食い止めようとしたんじゃ。じゃがそこで街道ではなく山上への布陣、これも一般的にはただの愚策として見られている。
しかし本当にそれだけじゃろうか。元々張郃率いる魏軍が予想以上の速度で西に向かっているのは、何であったか。
彼らは一刻も早く隴西へ抜け、孤立している味方を救出しなければならない。
これが最大の理由だったんじゃ。実際当時隴西を守備していた游楚は「もし一ヶ月で中央からの援軍が来なければここも守り切れんだろうから、お前らはワシの首を土産に敵に降伏するが良い。」と言うぐらいに追い詰められておったんじゃ。そこで敢えて街道を開けているとどうなるか。
・並の武将ならそのまま素通りして西に抜けようとする。蜀軍に対しては多少抑えの兵士を配置する。
・山上に布陣している蜀軍を攻撃する場合、急いでいるから山頂の蜀軍を一揉みで潰そうと山上に向かって突撃をする。
普通はこの二択になり、どちらの選択も馬謖の思うツボだったと思うんじゃ。そのまま素通りしようとすれば、敵の後方から急襲できる。高所への攻撃は圧倒的不利、忌むべきこととして孫子には記載されておる。
実はかなり深く、馬謖は敵の行動を上二つの選択しかできなくなるように動いておったと思うんじゃ。その理由は「隴西へ急いでいる敵が、ワザワザ足を止めて持久戦なんかするはずがない。」と言う読みがあったからこそだったんじゃよ。
じゃが張郃はその読みを超えて、水場を抑えての持久戦に持ち込んだ。するはずのない持久戦を相手が仕掛けてきた、と言うことで馬謖は完全に混乱したんじゃと思う。
スポーツや囲碁・将棋などでもそうじゃが、相手の思考の死角を突くと、相手はそれに対処できず、どうしても後手後手に回ってしまうんじゃな。愚策、遠回りに見える行為が、逆にあっさり局面を優位にするケースもある、と言うことじゃな。
そして、この相手の死角を突くやり方、と言うのは多分張郃が最も得意とする戦い方じゃな。戦場への展開は蜀の方が先にやっておったのに、気が付けば主導権を握っておったのは張郃の方だったんじゃ。
これにより馬謖は敗れ、その後、王平は何とか張郃の進撃を防ごうとするが、これはもう蛇足じゃな。張郃にしてみたら大勢が決し、王平がいくら頑張ってももう張郃の西進を阻むことは無理じゃ。そうなった以上、死兵と化してる王平軍を無理に攻めるのと、一刻も早く隴西方面の救援に向かうこと、どちらが優先事項であるかは言うまでも無かろう。
陳倉の戦い
張郃のこの相手の死角を突く、と言う戦いは次の第二次北伐でも発揮されておるんじゃ。実は街亭で勝利し、蜀に寝返った三郡を下した後、張郃は荊州方面に赴き、三度呉と干戈を交えようとしておったんじゃな。
じゃが諸葛亮が陳倉を攻めようとしたことで、急遽曹叡は張郃を呼び戻したんじゃ。ここで曹叡は南北の軍兵3万と張郃を護衛するために、武衛・虎賁と言った近衛兵も分け与えたんじゃ。曹叡は陳倉が落ちはしないか、張郃に尋ねるんじゃ。
「将軍の到着が遅れれば、陳倉は諸葛亮の手に陥ちてしまわないだろうか。」
張郃はすでに蜀軍の兵站情報を握っており、蜀軍に食料があまりなく長期にわたって攻撃することが不可能なのを承知していたので、以下のように答えたんじゃ。
「臣が到着しない内に、諸葛亮はすでに去っているでしょう。指を折って諸葛亮の兵糧を計算すると10日を超えないでしょう。」
そして張郃は電撃作戦を開始するんじゃ。しかし実は彼、陳倉には向かっておらんのじゃ。じゃあ彼はその機動力を生かしてどこに向かっていたか。史書を見ると何と蜀の北伐軍の本拠地、漢中の南鄭なんじゃな。
陳倉には既に別の部隊が救援に向かっており援軍はもう十分じゃ。そこで張郃は蜀軍の本拠地を攻める構えを見せることで、より蜀軍の退却を早めようと画策した訳じゃな。戦場におらずとも敵をコントロールする。この辺りはもう名人芸の域じゃろうな。
実際張郃が南鄭に至っている、と言う情報を聞いた諸葛亮は、城攻めがうまくいっていないこともあったんじゃろうが、すぐさま引き上げを決定するんじゃよ。
もう一つの考察も載せたかったが、だいぶ長くなってしもうたのう。そちらと能力評価などは次に載せるとするかのう。
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雑談ぢゃ
まだ一つ残っておるが、大体張郃の戦闘に関する考察は以上のような感じじゃな。
かなり師匠のバイアスがかかっているのは気になりますが、これが本当だとすれば、張郃って孔明とかと比べてもすごいんじゃないですか?
うむ、実際いろいろ張郃側に不利な条件があったとは言え、良く張飛は勝てたな、とワシの中では張郃に勝った張飛自身の評価もいきなり上がったからのう。
そうなると師匠的には張郃を最強武将とみているのでしょうか?
うーん、最強の定義にもよるから一概には言えんが、例えば戦場で同条件で正面から戦った時の強さでは恐らく張郃は最強ではないと思うんじゃ。
上でも書いておるように、張郃の強さと言うのは相手の死角、急所を突くようなところ、そして何でもできるという万能性。最強ではないが最良の将、と言う感じじゃな。
特化型と言うよりはオールラウンダーと言う感じに見ているのですね。
うむ、じゃから特化型にはかなわん部分はある、と思うんじゃ。究極の器用貧乏、と言えるかのう。
なるほど、そこはちょっとわかる気がします。
うむ、さて、語りたいことはまだまだあるが、今回はここまでじゃな。
次も良ければ見てくださいね、それではまたです。