字は元皓じゃ。生年は不明、没年は200年じゃ。
彼は演義を読んでおれば結構有名な人物じゃと思うが、どんなことをやった人物か、見ていくとしようかのう。
さて、今回は田豊じゃな。演義じゃと袁紹軍の二大軍師の一人じゃな。
沮授と双璧を成す人物ですよね。ですが正史ですと袁紹陣営って結構優秀ですよね。
そうじゃな、逢紀や審配もおるし、郭図はちと微妙なところもあるが、軍事面より内政官として使ってやれば十分活躍できる。じゃがやはり沮授、田豊、張郃の三人は抜けた存在じゃと思うぞい。
そして三人が三人とも韓馥配下にいるというのも不思議な話ですね。
うむ、さてそれでは人物紹介と行こうかの、今回も沮授同様二回に分けようかのう。
人物紹介
若き日の田豊
『先賢行状』によると、田豊は鉅鹿、一説には勃海の人とも言うんじゃ。生まれつきの傑物で、権謀奇略に富んでおったという。幼い頃親を失ったが、喪にあって悲しみを極め、月日が経過しても、歯茎まで見せて笑うことはなかったんじゃ。
博学多才で、名声は郷里に轟いていたんじゃな。最初は太尉の幕府に召し出され、茂才に推挙され、侍御史に昇進したとあるのう。しかし、宦官が朝政を壟断するのに辟易して官位を捨て、故郷に戻っておるんじゃよ。
そして本当にそうだったかはわからんが、一時期韓馥に仕えておったらしいんじゃよ。しかし剛直な田豊は審配同様、韓馥からは煙たがられておったようじゃ。
袁紹の招聘
そしてこれまた『先賢行状』によるんじゃが、袁紹が董卓に対する義兵をあげた時、辞を低くし多額の引き出物をささげて田豊を招聘したんじゃ。田豊は王室の多事多難に際し、国を救うことを志していたため、袁紹の誘いに応じ、別駕に就任したんじゃ。こう考えると191年の時点ではもう袁紹に仕えておった可能性もあるの。じゃが、彼の名前が出てくるのは界橋の辺りからじゃから、一応ここでは韓馥配下としておくぞい。
ちなみにこの時、沮授または郭図と同様、袁紹に天子を迎えるよう勧めたが、袁紹は承知しなかったんじゃよ。
界橋の戦い
界橋の戦いの時じゃ、袁紹軍に公孫瓚軍が敗北し、大勢が決したと判断した袁紹は馬から降りて鞍を外し、防備を設けずに負ったところ、逃走中の公孫瓚配下の二千の兵が突如襲来したんじゃよ。彼らは袁紹たちを幾重にも包囲し、矢を雨のごとく射かけてきたんじゃ。この時別駕従事の田豊が袁紹を垣の隙間に避難させようとしたんじゃが、袁紹は兜を地面にたたきつけ、「大丈夫たる者は突き進んで戦死するのが当然だ。垣の隙間に逃げ込むまでして生き延びようとするのか。」と拒否するんじゃよ。
ちなみに公孫瓚を打ち滅ぼすのに、袁紹は田豊の計略を採用していたんじゃよ。
そして公孫瓚との戦いを継続して繰り広げておる198年、曹操が張繍を包囲していた時の話じゃ。『献帝春秋』によると、袁紹に背いた兵が曹操の下にきて「田豊が袁紹に、早く許を襲え、もし天子を擁して諸侯に命令するならば、四海のうちは指さしている間に平定できると申しております。」と言っておるんじゃ。田豊の慧眼と言いたいところじゃが、そもそもこの内容は後の劉備討伐の時と内容がよく似ておる。しかもこの時はまだ公孫瓚とやりあっておる時期じゃから、事実かどうかは怪しいのう。
ともあれ、公孫瓚討滅に田豊は沮授や張郃同様大きく貢献した、と言えるじゃろうな。
さて、いったんこの辺りで区切るとしようかのう。
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雑談ぢゃ
さて、田豊についてじゃがどう思うかの?
基本袁紹に仕えた後のエピソードしか知らなかったのですが、中央に仕えていた時期もあるんですね。それと沮授よりもさらに権謀とかに通じている、と言う感じで書かれているんですね。
そうじゃな、頭の良さだけで言うなら袁紹陣営で一番の切れ者かもしれんのう。
そう言えば、張繍を曹操が攻めている時の田豊の進言は演義の劉備の時のと内容がよく似ていますね。
うむ、じゃがこちらはちと眉唾じゃのう。袁紹陣営を裏切った兵士が田豊の進言内容をそこまで覚えておるかが疑問じゃし、それを曹操に伝達するというのもちと考えにくい。
そうなると劉備の情報と混ざっている可能背もありますね。
うむ、まあ両方進言していた、と言う可能性もあるがのう。
でもまだ公孫瓚と戦っている時期だとすると、袁紹陣営にもリスクがありそうですからね。
そうじゃ、しかもその頃はまだ曹操と袁紹の中は、そこまで悪くはなかったんじゃよ。元々曹操は袁紹によって引き立てられた、と言う側面もあるでのう。
うーん、そう考えるとますます怪しい話ですね。それにしても袁紹も頑固ですね。沮授と田豊、張郃に任せていたら、もっと楽に天下への道が開けていたでしょうに。
まあそうじゃな。じゃがそれはわかっている人間の後出しじゃんけんじゃからな。結果論であれこれ言うのは誰でもできる。じゃが当事者たちにはひどく難しい問題じゃからな。
曹操達のような方が異例ということですか。
そう言えるじゃろう。さて、そんなところで田豊の1回目は終了じゃな。
次も見てくださいね、それではまたです。
1⃣・2⃣