三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹操(そうそう) 字:孟徳(155~220)その8

さて、曹操紹介8回目じゃな。

さて今回は軍事、政治、文学以外で曹操が行った面白い施策やエピソードを載せていくぞい。

曹操紹介その1(戦歴)

曹操紹介その2(徐州虐殺?編)

曹操紹介その3(魏武注孫子篇)

曹操紹介その4(その他戦役編)

曹操紹介その5(屯田制)

曹操紹介その6(兵戸制・求賢令)

曹操紹介その7(政治・文学篇)

曹操紹介その9(遺令・能力評価等)

 

その他・小ネタ集

さて、ようやっと曹操の話も終わりが見えてきたのうここからは歴史的大事業と言う訳ではないが、曹操の面白いエピソードを載せていくぞい。

終にきましたね。それにしてもエピソードに欠かない人物ですね。

そうじゃな、できれば能力評価まで行きたいとこじゃのう。

分かりました、よろしくお願いしますね。

魏武四時食制

これは北宋の初めに編纂された『太平御覧』と言う百科事典の引用図書一覧に乗っておった書物なんじゃ。『魏武注孫子』でもわかる通り、魏武とは曹操のことを指すんじゃ。そのことから魏武四時食制は曹操の著作と考えられる。

ただこの書物はすでに散逸しており、全体の構成及びその内容まではわからんのじゃ。

一部『太平御覧』に残っておる内容を見ていくと

 ・チョウザメは軟骨も食用になる

 ・ナマズは蒸して調理する

 ・アカヤガラ(トゲウオ科の魚)の味は豚肉に似ている

 ・チョウザメをなれ鮨にする

 ・滇池のフナは冬が美味である

 ・エツ(カタクチイワシ科の魚)は短刀に似ている

 ・アカエイは毒針を持ち人間を刺す

 ・ホンニベの頭骨に耳石(平衡石)がある

等、単に食事、料理だけでなくアカエイの毒やホンニベの平衡石など生物学にまで及んでおるんじゃよ。

また曹操本草学も修めておったようで、毒殺を警戒し、毒草の「野葛」を食べ、「鴆(ちん)酒」(鴆と言う鳥の羽から抽出される毒酒)を飲む訓練をしておったとされる。これは武帝紀注の『博物志』に記述されておるんじゃよ。

他にも『太平御覧』には曹操が香草の知識も豊富だったことを示しているんじゃよ。

曹操と酒

酒と言うと一般の三国志のファンじゃと真っ先に張飛を思い浮かべるかもしれん。しかし三国時代で一番の通は曹操かもしれん。と言うのも曹操は「九醞春酒法」と言う醸造法をまとめ、上奏しておるんじゃよ。

この作り方の詳細は素人のワシでは細かく説明はできんのじゃが、日本酒の段仕込みと手順が非常に似ているらしいんじゃよ。

当時の普通の酒はどぶろくでアルコール度数1%行くかどうかと言うものが普通じゃったらしいんじゃ。しかしこの「九醞春酒法」によりはるかに高い度数の酒を造れる、と言うことなんじゃな。直接的かどうかは知らんが、日本酒のご先祖様と言えるやもしれんぞい。

日本酒好きな方は、曹操に足を向けて寝れんかもしれんのう、ほっほっほ。

トンチ好きの曹操

曹操の配下で楊脩と言う非常に頭の良い人物がいたんじゃ。勉強ができるだけでなく、頭の回転が非常に速い。「鶏肋」の故事で有名な人物じゃから知っている方も多いんではなかろうか。曹操はこの楊脩と色んななぞかけをしているんじゃが一休さんのような話が多く、面白いぞい。

一合酥

世説新語』によると、ある時辺境から酥(ヨーグルトのような乳製品と考えられる)が送られてきたんじゃ。曹操はそれを一口食べると、一合酥と箱に書いて立ち去ったんじゃ、皆は意味が分からず、右往左往しているとそこに楊脩が入ってきたんじゃ。

楊脩は箱に書いてある文字を読み取ると「一合と言う文字を分解すると一人一口、と読めます。ですから皆で分配して食べましょう。」と言って配るんじゃよ。

門に活(死中に活ではないw)

ある時曹操が相国の門を見た時、門に活と書いた。これを見た楊脩は門を壊させたんじゃよ。ある人が何故門を壊すのか?と尋ねると楊脩は「門の中に活が入ると「闊」と言う文字になる。これは門が大きすぎる、と言う意味なのですよ、だから門を小さく作り直すのです。」

その差、三十里

曹操と楊脩がある碑文の前を通ったんじゃ。その碑文には謎かけがしてあった。楊脩はその場で答えが分かったんじゃが、曹操はそこで答えさせずに、自身も考えた。丁度三十里過ぎた所で曹操も答えがわかり、楊脩と答え合わせをしたんじゃが、その時曹操は「自分とそなたとの才の差は三十里の開きがあると悟った。」と楊脩の才知を称賛したんじゃよ。

後に楊脩は曹操によって処刑されるんじゃ。『世説新語』はこう言ったやり取りで曹操が楊脩の才知に嫉妬したことで処刑した、と言う風に書きたいようじゃが、多分大外れじゃろうな。楊脩は曹操の息子の一人曹植の側近になっておる。これは嫉妬し憎んでいる相手では決してなれん立場じゃと思うぞい。

むしろ曹操はこの楊脩とのやり取りを楽しみ、それで曹植付きにしたとも思えるんじゃよ。曹操と楊脩のやり取りは陽性の、一休さん的なものじゃったとワシは思うんじゃよ。 

その他のエピソード

上でも少し書いておるが、張華の『博物志』には以下のような記述があるんじゃ。

「漢の時代、安平の崔瑗、その息子の崔寔、弘農の張芝、張昶はいずれも草書が上手であったが、曹操は彼らに次いで上手かった。」

「桓譚と蔡邕は音楽が上手、馮翊の山子道・王九真・郭凱等は囲碁が上手であったが、曹操は全て彼らに匹敵する能力を持っていた。」

 

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雑談ぢゃ

さて、これでおおむね曹操の紹介は終わりじゃな。

何というか、軍事政治以外でもすごいボリュームですね。ちょっと凄すぎないですか?

そうじゃな、政治面でこの時代の体制が多く日本に影響を及ぼしている、のみならず酒造りも関わっているのは面白いのう。

マルチタレントですね、これだけ何でもできちゃうと。

そうじゃな、真偽不明の徐州虐殺の記述をわざわざ武帝紀に乗せるぐらいじゃから、実は陳寿曹操のことをあまり好きではなかったのかもしれん。陳寿自身は蜀の人間で、曹操は敵国の親玉じゃからな。それでも曹操の才能は認めざるを得なかった、と言うぐらいすごかったんじゃと思うぞい。

案外歯ぎしりしながら書いてたりしませんかねw

それはそれでちょっと微笑ましいものがあるがのう。真相は闇の中、じゃな。しかしこれだけの多芸多才ぶりは、ワシの中ではレオナルド・ダ・ビンチと被るんじゃな。

レオナルド・ダ・ビンチも医学や科学と多才だったって言いますものね。

政治や軍事だけではない、酒やら囲碁、草書等小ネタで盛り上がらせてくれる、まさに同時代に並ぶ人物はいない、と言えるじゃろう。同時代にこの「実」の功績面で曹操に及ぶ者はいない、とワシは思うぞい。

それでも勝てないこともあるんですから、面白いですね。

そうじゃな、鬼滅のアカザ風に言えば、曹操はあらゆる分野で限りなく至高の域に近い存在、じゃがそれゆえにその道のエキスパートには一歩及ばん、と言うものなのかもしれんのう。

器用貧乏と言うことですか。ですがそれはあまりにもハイアベレージな上での話ですよね。

もちろんそうじゃな。それだけに曹操の評価と言うのは全て満点ではない、と言うのがわしの考えじゃ。さて、とは言え今回はもう無理じゃな。

次が最後ですね。

そうじゃ、もうワシが語れることはほとんど残っておらん。後は評論と、曹操の最後、そして能力評価じゃな。好き勝手書いて、読んでいる方置いてけぼりで申し訳ないが、もう後少しじゃ。

良ければ次も見てくださいね、ではまたお願いします。

 

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