さて、今回は夏侯淵の二回目じゃな。
前回の軍事の逸話を見る限りかなり優秀そうじゃな。
じゃが今回は彼の評価を難しくしておる最後の戦いと彼に関する幾つかの逸話を載せて、最後に能力評価といこうかのう。
人物紹介
さて、前回の夏侯淵の戦闘実績はどうじゃったかのう?
前回までのエピソードを見る限りでは彼は非常に優秀だと思うのですが、それだけではない、と言うことですか?
そうじゃな、夏侯淵の最大の長所が短所ともなりえる。この辺りは難しいところじゃのう。
むむむ、禅問答みたいな話ですか?
禅問答とか、また渋い話をしてくるのう。そこまで難しい話ではないぞい。それでは見ていくとしようかの。
漢中の戦い
さて、夏侯淵の最後は漢中にて劉備との戦いなんじゃ。劉備と夏侯淵は漢中を巡って数年にらみ合っており、一時張郃によって巴西、巴東を奪われたのを張飛が攻め破り、黄権が同地域の魏勢力を駆逐するなど、ジリジリした状態だったんじゃが、218年に劉備が本格的に大軍を率いて漢中に乗り込んでくるんじゃ。夏侯淵も諸将を率いてこれを防ぐんじゃ。そして219年の正月、劉備は夜中に夏侯淵の陣営の囲いの逆茂木に火を放ったんじゃ。夏侯淵は張郃に東の囲いを守らせ、自分は軽装の騎兵を率いて南の囲いを守ったとある。
劉備は張郃に挑戦し、張郃は負け戦となった。夏侯淵は自分の率いる兵士の半分を分けて、張郃の助勢に当たらせたところを、劉備に襲撃され、戦死したんじゃ。
ここまでなら単純に兵力が減ったことの問題に見えるんじゃが、曹操がいつも戒めていた言葉がちとひっかかるんじゃ。「指揮官たる者、臆病な時も無ければならない。勇気だけを頼みにしてはなるまいぞ。指揮官は当然勇気を基本とすべきだが、行動に移すときには知略を用いよ。勇気に任せることしか知らないならば、一人の男の相手にしかならないぞ。」
「臆病な時も必要、勇気だけを頼みにしてはならない」は兵力を分散したことの戒めと分かるんじゃが、「行動に移すときは知略を用いよ。勇気に任せることしか知らないならば、一人の相手にしかならない」という部分と夏侯淵の行動との関連性が見出せんのじゃよ。
仮に半数を割いたとしても、以前劉備は張郃に精兵一万で攻めて張郃率いる親衛隊に撃退されており、本国に兵力増強を依頼しておる。その張郃が破れそうになるぐらいの攻撃を劉備が仕掛けていると言うことは、劉備軍の主力は張郃側にいることであり、簡単に夏侯淵が討たれる状況には本来ないはずなんじゃよ。
つまり何らかの軽率な行動を夏侯淵は取ってしまい、それで討たれた、と言うことのようなんじゃな。それでみていくと『魏武軍策令』にヒントが載っておるんじゃ。夏侯淵は劉備が焼き払った逆茂木の修復に僅か400の兵で向かったそうなんじゃ。
劉備はそこを急襲し、夏侯淵は討ち取られたんじゃよ。これが事実となると、先の曹操の戒めのポイントが何となく理解できるんじゃよ。
夏侯淵の評判
じゃが前回の夏侯淵の戦場における判断は見事じゃった。ここが非常に頭を悩ますところだったんじゃよ。で気が付いたのが、この時の夏侯淵の配下を見ると、ある共通事項に気が付いたんじゃよ。この頃主に夏侯淵に従っていたのは張郃、徐晃を筆頭に郭淮、杜襲と言った面々じゃ。
張郃はすでに知っておると思うが、徐晃も知略に優れ、負けた時の事も事前に考慮して敵と相対するような知勇兼備の武将なんじゃ。
郭淮も知略に優れ、後には諸葛亮の北伐での攻撃ポイントを的確に見抜き、これを撃退するんじゃよ。
杜襲も時勢を読み取る能力に優れ、しかも人望の厚い人物で、後に彼に従う形で漢中から8万余人もの人達が洛陽や鄴の方面に移住することになるんじゃよ。
そして218年頃の各武将の封邑を見ていくと、ちと興味深い事実が見えてくるんじゃ。
曹操親族で考えると曹操死亡前の各人の封邑は以下のようになるんじゃな。
夏侯惇 2500戸
曹仁 1500戸
曹洪 1100戸
夏侯淵 800戸
これで見ていくと、武官の中でもかなり夏侯淵は少ないんじゃよ。そして曹一族以外の武将を見るとこれまた興味深いんじゃよ。
張遼 1600戸
楽進 1200戸
于禁 1200戸
徐晃 1900戸?
張郃 2300戸?
張遼、楽進、于禁は中央から主に東を担当しておった人物じゃ。彼らに比べ、西方担当じゃった徐晃と張郃は封邑がかなり多いんじゃな。封邑だけで全てを語ることはできんのじゃが、本当に夏侯淵単独で全てをこなせるタイプの将であったなら、せめて曹仁ぐらいもらっててもおかしくないのでは、と思ったりもするんじゃな。
権限は夏侯淵に与えておるが、その実は張郃と徐晃らとの、合議制のシステムだったのかもしれんのじゃよ。夏侯淵自体は奇襲急襲を得意としておったが、それ一辺倒ではいずれ壁に当たる。そこで変化をもたらし、知略面を支える将として上記の四人が配されておったのではなかろうか。そしてだからこそ筆頭クラスの張郃と徐晃はあれだけの封邑を受けてたのではないかと言う風にも思えるんじゃな。
こう言うのは野球やサッカーの監督とかでもよくある話じゃな。カリスマ性があり、配下に人気のあるトップと、戦略戦術面を考案する参謀、と言う図式は結構あるからのう。夏侯淵はそういう意味では、トップとして十分魅力的な人材だったと言うことじゃな。
さて、色々書いたが、夏侯淵の紹介はここまでじゃな、続いて能力評価と行こうかの。今回は全作品に出ておるぞい。
能力評価
夏侯淵についてはいろいろ迷ったんじゃが、神速の行軍による急襲などから軍事を、そして張郃、徐晃等そうそうたる武将を率いておった実績から統率も高めとしておるんじゃよ。
また、初期は郡太守を行い、曹操軍の兵站、兵糧管理の役割を担っておった点から政治もそれなりに高めとしておるんじゃ。じゃが、知略に関しては曹操からの戒めや、最後の軽率な行動から、抑えさせてもらったんじゃ。じゃが弱点が知謀のみなので実は補うのはそう難しくないんじゃ。そして知略以外の三項目では、実は張郃をすべて上回っておったんじゃな。実は自分も書くまで気が付いておらんかったわいw
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雑談ぢゃ
さて、夏侯淵の能力評価じゃな。この人物の能力はかなり悩んだぞい。
前回の内容だけを見ていけば普通に名将ですからね。
うむ、じゃが他の人物の伝を見ていくと、例えば配下の進言したことが、あたかもその人物自ら発案しておるような記述も散見されたんじゃよ。なので夏侯淵の戦術的発言も、もしかすると配下の進言を己の意見としておったのかもしれん。
そういう意見を素直に取り入れることと言うのも、実は大変な話ですよね?
そうじゃな、どんなに良い意見でもそれを聞き入れる器量がければすべて水の泡じゃ。それができる人物じゃからこそ、ワシは夏侯淵の統率も高めにしておったんじゃよ。
何気にコーエーさんと師匠の評価はちょっと似てますね。統率も高いですし、知力、知謀が一番低いですし。
そうじゃな、知略に優れた優秀な参謀がいる限りは夏侯淵は超一級の評価でよいとワシは思うんじゃよ。事実関中で彼は猛威を振るっておった訳じゃしのう。
それにしても最後は夏侯淵の側に誰もいなかったんでしょうか?
まず徐晃は劉備が派遣した別軍撃破のために、彼も遊撃隊を率いて夏侯淵の下から離れておったんじゃ。張郃は比較的近くにおったが、彼は劉備本軍からの攻撃にかかりきりで、夏侯淵の方をどうこうできる余裕がなかったんじゃ。そして郭淮は病気で参戦できず、杜襲もまた別のエリアを守っておった。エアーポケットのように夏侯淵の周りに人がいなかったんじゃな。
そう考えると非常に運が悪かった、と言うことですね。
うむ、ゲーム内では優秀な副将を常に配置して、夏侯淵の長所の部分を存分に発揮させてやりたいのう。
本当そうですね。知謀以外は優秀ですから使ってやらないと損ですよね。
うむ、さて、夏侯淵の紹介はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。