今回紹介するのは李乾じゃな。字は不明じゃ、生没年も不明じゃが、呂布の乱の際に亡くなっておるので、恐らく194年没じゃな。
一見マイナーな人物じゃが、ある人物とのかかわりが深いんじゃよ。
さて、今回は李乾じゃな。彼自身は無名だと思うが、実は李典の一族だったりするんじゃよ。
李典と言うと確か一回出ていましたよね。劉備との戦いの時でしたよね。
うむ、魏を代表する武将の一人じゃな。他にも張遼程は目立ってはおらんが、合肥の戦いで活躍した武将じゃな。
その方の親族と言うことは、李乾も結構優秀なんでしょうか。
そうじゃな、その辺りを見ていくとしようかの。
人物紹介
さて、李乾じゃが、彼は李典の従父であった、とのことじゃな。
李典は劉備の紹介のところでちょっと出ておるのう。
李乾についてじゃが、彼は雄々しい気性の持ち主で、食客数千家を集めて兗州済陰郡の乗氏県に住んでおった、と言うことじゃな。一方の李典は兗州山陽郡の鉅野県の人じゃが、地図を見たところ、この二つの郡県は隣同士で接しておる状態じゃな。
しかもこの二つの郡県をまたがって北部には巨大な鉅野沢と言う湿地帯があるんじゃな。おそらくこの湿地帯を利用した水運業などで、李一族は栄えておったんではなかろうか。
李乾は初平年間に曹操に従い、寿張で黄巾の賊を破ってその後袁術を攻撃、更に徐州を征討した、とあるんじゃ。
食客数千家とあるから、結構私兵も持っておったと思われ、初期曹操のにとっては貴重な戦力だったと思うんじゃよ。
そこで呂布の乱の時に、曹操は李乾を乗氏へ返して諸県をいたわりねぎらわせたんじゃな。呂布の別駕薛蘭と侍中の李封は李乾を招き、いっしょに反逆しようと誘うんじゃが、李乾は拒むんじゃよ。そこで結局彼は殺害されてしまうんじゃ、残念な話じゃな。
さて、李乾の紹介は以上じゃな。続けて能力評価じゃな、今回は・・・お、鄭問さんのみじゃな。ちょっと珍しいのう。
能力評価
李乾は雄々しい性格、そして黄巾や袁術との戦いでも活躍したらしいことより、軍事が高めじゃな。また食客数千家を養い、自前の軍隊も保持しておったことから統率と政治もそれなりに評価できるかのう。
ただ、薛蘭達に殺害されてしまったことから、多少注意力が足りんかった、と言うことから、知謀はやや低めじゃな。じゃが彼の忠義は息子や李典に受け継がれていった、と言うことなんじゃろう。
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雑談ぢゃ
さて、李乾の能力評価じゃな。マイナーじゃが初期曹操を支えた重要な人物じゃな。
軍隊を維持すると言うのはそんなに大変なのですか。
そうじゃな、一説によると一定数の兵士を維持するためには、最低でも十倍の人口が必要、と言われておるようじゃな。
初期の曹操とかですと、仮に兵を雇っても維持できなくなってしまうのでは?
そうじゃ、そこで重要になってくるのが郡の太守などじゃ。彼らは戸籍によって人口の管理をしており、それに対して一定数の割合を徴兵し、維持できるシステムが出来上がっておるんじゃ。
なるほど、あくまでも郡太守として、郡の兵士を動かす、と言う名目であれば家財を傾けて兵を募集するまでもない、と言うことですね。
うむ、もう一つが李乾のように自前で兵を維持できておる豪族を味方として引き入れる手法じゃな。
ですが、郡太守として軍の兵を率いるのと違って、自分で軍を維持するのは大変じゃないのですか?
まあこの時期黄巾の乱で大量の流民が発生しておるからの。自分のところで小作人として最低限の生活の保障さえしておけば、生産力に困ることはなかったのじゃろう。彼ら豪族の下に逃げ込んだ流民は、最早戸籍には登録されん豪族個人の所有物になる訳じゃからな。
ちょっと嫌な言い方ですが、戸籍から抜けてでも豪族の下の方がマシだった、と言うことでしょうか。
そうじゃな、曹操が始めた屯田政策も、その税率を考えるとかなり高いものじゃ。それでも相当数の人が集まっておったらしいことを考えると、後漢王朝の腐敗は相当ひどかった、と言うことじゃろうな。
李乾もそうやって力を付けた一族だった、と言うことですね。
うむ、この時代はそうやって地力をつけた豪族が多数おるの。そして各地の牧や刺史はそう言う連中を如何に取り込むか、に腐心しておったんじゃよ。
そう考えると李乾が初期から従ってくれたのは相当大きかった、と言うことですね。
そうじゃが、ただ彼等豪族の兵は彼等自身の所有物じゃから、直接コントロールはできんからのう。
ああ、なるほど。そこは豪族が力をつけすぎるのはまずいことになってしまいますね。
うむ、曹操はまだマシじゃが、呉はその辺り、豪族の勢力争いが酷かったからのう。袁紹もある意味その辺りの問題が大きかった訳じゃな。さて、李乾の役割の重要さが少し伝わったじゃろうか。今回はここまでじゃな。そして曹操陣営の紹介もここまでじゃ。
次は曹操陣営のまとめですね。良ければ次も見てくださいね、それではまたです。