さて、今回紹介するのは鄭遂じゃな。
字は不明じゃ、生年は不明じゃが、没年は192年じゃな。
彼の名前は兗州動乱の幕開けとセットになるようじゃな。
さて、今回は鄭遂じゃな。彼も無名じゃのう。
そうですね。彼のことは私は知らないですね。
まあ、彼の場合、三国志の時代でもかなり初期の段階で退場してしまうからの。ただ、彼の死が兗州動乱の幕開けになるんじゃな、とは言えそんなに語ることはないかのう。
ふむふむ、それではさっそく紹介をお願いします。
人物紹介
さて、鄭遂じゃが、史書で出てくるのは一ヶ所のみじゃな。武帝紀によると192年の四月青州の黄巾残党が兗州に侵入し、任城国の相の鄭遂を殺害した、とあるんじゃよ。
ちょうど同じ頃に王允が呂布を引き込んで董卓を殺害し、董卓の武将の李傕と郭汜らは王允を殺害し、呂布は彼らに敗れて東へ逃げた時期じゃな。
任城国の相と言うことで、それなりの人物だったんじゃろうが、黄巾賊の暴虐ぶりはすさまじかったようじゃの。彼の後には兗州刺史であった劉岱も黄巾賊との戦いで命を落としておる訳じゃ。
後に曹操も彼らと戦う訳じゃが、曹操をもってしても彼等との戦いにはかなり苦労しておったようじゃな。鄭遂等が敗れたとしても止む無し、と言うとこじゃな。
さて、鄭遂の紹介は以上じゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
鄭遂は任城国の相としての役割を果たしていたことから、政治面はそれなりに評価できると考えておるんじゃ。また知謀もそれなりと評価したんじゃ。
じゃが、青州兵に殺害されてしまったことから、軍事面の評価は抑え目じゃな。実績が何もないとこのぐらいの評価になってしまうのう。
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雑談ぢゃ
さて、鄭遂の能力評価じゃな。
マイナー武将だとどうしてもこれぐらいの能力になってしまうのですね。
そうじゃな、名前だけしか出てこないとこんなもんじゃろうな。
何も実績が伝わっていないのが残念ですね。
そうじゃな、じゃがこればかりはどうしようも無いじゃろうな。しかも任城国は彼一人じゃから、これはつらいぞい。
う、そうですね。すぐ近くに曹操と鮑信がいますし、勢力を伸ばすのが大変そうですね。
うむ、かなりの上級者でなければ勢力を伸ばすどころか維持するのも大変じゃろうな。
なかなかMの道になりそうですね。
一応彼の上に兗州刺史の劉岱がおるから、彼の力を借りることが一番じゃろうな。さて今回はここまでじゃな。記録がないゆえこの程度しか書けなくて申し訳ないのう。
良ければ次も見てくださいね、それではまたです。