さて、今回紹介するのは范方じゃな。
彼も劉岱のところで少し紹介しておるが、生粋の劉岱配下と言う訳ではないんじゃ。
彼もまた有名とは言い難い人物じゃが、まずは紹介するとしようかのう。
さて、今回は范方じゃな。彼はすでに一度過去出ておるのう。
劉岱のところで出ていますね。元々は公孫瓚配下ですよね。
うむ、彼もあまり記述は多くないが、その内容からある程度どんなタイプから見て取れそうじゃ。それでは早速紹介するとしようかの。
人物紹介
范方に関しては程昱伝の所に出てくるんじゃ。既に劉岱のところで詳細は書いておるが、元々范方は公孫瓚の配下だったんじゃ。公孫瓚は騎兵を率いさせ、劉岱を助けていた、とあるので、劉岱率いる軍の中でも結構重要なポジションにおったのではなかろうか。
袁紹と公孫瓚が仲たがいをした時、劉岱の下におった袁紹の家族を引き渡すように要求してくるんじゃ。
そして范方には「もし劉岱が袁紹の家族を引き渡さないのならば、騎兵を引き連れて帰還せよ」と命令するんじゃ。そして袁紹を倒した後は劉岱を攻める、とも。
劉岱にしてみれば、それまで己を支えておった騎兵軍団がごっそり抜けて、しかも敵に回る状況じゃから迷うのは当たり前じゃな。
将棋で言うなら、飛車角がいきなり取られてしまうようなもんじゃからな。取られるだけでなく、相手の駒として使われるようなもんじゃから、より脅威に感じるじゃろう。
程昱の冷静な判断からの助言により、劉岱は袁紹に付くという方向性を定めるが、当然これにより范方は劉岱の下から離脱してしまう。この辺りの内容は劉岱のところに書いているぞい。
そして范方は公孫瓚の下に帰還するが、その途中で公孫瓚は袁紹に敗れるんじゃ。これは恐らく界橋の戦いのことを指しておるんじゃろうな。界橋の戦いの詳細は麹義のところに簡単な説明を入れているぞい。 kumajisan.hatenablog.com
もしかしてこの時、范方率いる騎兵が界橋の戦いに間に合っていたら、結果はもう少し違ったものになったかもしれんのう。ただまあ歴史的には、范方はこの戦役には参加できず、公孫瓚は大敗した、と言うことじゃな。
その後は范方の名前はでてこなくなるのう、恐らく公孫瓚と運命を共にしたと思うんじゃが、そこはもう想像の範疇でしかないのう。
さて、范方の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価じゃ。今回はコーエーテクモさんの三国志14に出演しておるぞい。
能力評価
范方は劉岱軍を助けるため、公孫瓚から派遣された騎兵を率いておったとみられ、結構重要な位置を占めていたと考えられるんじゃ。このことから軍事、統率面は高めの評価としておるんじゃ。ただ実績はほとんどないので、それでも少し抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、范方の能力評価じゃな。彼も実績はないが、劉岱軍内での存在感の大きさから、やや高めの評価じゃな。
騎兵を率いることができる、と言うだけでも貴重な存在ですよね。
そうじゃな、この時代、まだ鐙の存在は確認されておらん。と言うことは馬の制御にはより技量を必要としたはずじゃ。それを率いることができる范方は重要な人物じゃったと言えるじゃろうな。
劉岱が迷ったのも、その戦力が失われることの大きさを理解していたから、冷静に判断できなかったのかもしれませんね。
うむ、そう考えるともう少し評価したいところじゃったんじゃがな。さすがに実績がないからのう・・・。
さすがに記録が残っていないとそこまで極端には高くできませんよね。
そうじゃな。まあこればかりは仕方ないのう。さて今回はここまでじゃな。しばらくマイナーな人物が続くが、知らない人物が並ぶ、普段とは少し違う視点で楽しんでくださるとうれしいぞい。
よければ次も見てくださいね、それではまたです。