今回は彼の知略がどのようなものであったか、そして彼の最後に付いて述べていくとしようかの。
さて、今回は陳宮の二回目じゃな。
それにしても、曹操に対しても、呂布に対してもあれだけやってるのに彼は最後の最後まで処刑されなかったのは何ででしょうね。
うむ、まあ曹操の場合は兗州支配のために非常に大きな功を残してくれたから、というのはあるがのう。ただ陳宮一族は別に地元の大姓(地元の有力者)と言う感じでもないから、その辺りが謎なんじゃな。
とりあえず史書の残りの記述を見ていきましょう、お願いします。
人物紹介
陳宮の献策
陳宮の献策はいくつかあるが、代表的なものを如何に載せるとしよう。
張邈への献策
曹操へ反旗を翻すにあたって、陳宮は以下のように張邈を説得するんじゃよ。
「いま、英雄・豪傑がむらがり起り、天下は分裂崩壊しております。あなたは千里のかなたから軍勢を率い、四方どこからでも攻め込まれる平坦な土地を領土とされておりますが、剣に手をかけあたりを見渡すだけでも、充分英雄として通用しますのに、逆に他人に制圧されておいでです。
何と見下げたことではありませんか。ただいま兗州の軍勢は東方征伐に出かけており、その本拠はがら空きになっております。
呂布は勇敢な武将であり、良く戦い抜いて彼の進むところ敵なしです。もしかりに彼を迎え入れ、一緒に兗州を治め、天下の形勢を観望しつつ、状況が有利に展開するのをお待ちになれば、これもまた英雄たちの間に立って策を巡らす一つの機会だと言えましょう。」
見事に張邈を持ち上げ、これにより張邈は陳宮の意見に従ってしまうんじゃよ。
呂布への献策
曹操が下邳へ攻め込んできた時のことじゃ、幾つかの史書の記述を見るとおよそ以下のような流れじゃったと思うんじゃ。
『魏氏春秋』によると陳宮は以下のように進言しておるんじゃ。
「曹操は遠方からやってきており、状況から見て、持久戦は不可能です。将軍が歩兵・騎兵を率いて城外へ出て陣をしかれ、外部に威勢をはられますならば、私は残った軍勢をまとめて城内の守りを固めましょう。
もし敵が将軍を攻撃したなら、私は軍兵を率いて敵の背後を攻撃いたします。もし敵が来襲して城を攻撃するならば、将軍が外部から救援なさるように。
そうすれば10日と経たぬうちに、敵の兵糧は底を突きます。このタイミングで攻撃すれば撃破できましょう。」
呂布はこれをもっともだと考えたが、呂布の妻はそれに反対するんじゃ。
「昔曹操は公台(陳宮)を我が子のように扱っておりましたのに、それでも陳宮は曹操を見捨てて出てきたのです。
今将軍は公台を曹操程手厚く扱っておりません。それなのに彼に城をそっくり預け、妻子を捨て援軍なしに遠く城外へ出られるなんて。もし突然変事が起りましたなら、私はどうして将軍の妻でいられましょうか。」
これにより呂布は出撃を取りやめるんじゃよ。
ちなみに『英雄記』によるとこの妻の発言には続きがあって
「陳宮と高順は仲が悪く、将軍が一旦出陣すれば、二人は必ずや心を一つにして一緒に城を守りぬくことはしないでしょう。」
とも言っておるんじゃ。しかも長安から呂布が脱出した際に自分は置き去りに一度されている。だから今回も私のことをかまう必要はない、とさり気に呂布を非難しておるんじゃよ。これには呂布もだいぶ参ってしまったようじゃな。
陳宮の最後
さて、こんな状況で陳宮の進言は受け入れられず、最終的には呂布と陳宮は捕まってしまうんじゃよ。史書にも陳宮の最後のことは書かれておるが『典略』によるともっと詳細に書かれておるので、こちらを記載するとしようかの。
曹操が陳宮、呂布と顔を合わせ語り合ったが曹操が陳宮に以下のように言うんじゃ。
「公台よ、君は常々余りある知謀の持ち主と自認していたのに、今は一体どうなったのだね。」
「この男がわしの言うことを聞かなかったために、こんなことになったのだ。もし言うことを聞いていたなら、必ずしも生け捕りになるとは限らなかったものを。」
曹操が笑いながら「今日の事態をどうするつもりじゃ?」と問うと、陳宮は以下のように答えるんじゃ。
「臣下としては不忠者であり、子供としては親不孝者だったのだから、殺されるのは自業自得だ。」
曹操は「君はそれでいいかもしれんが、年老いた母親をどうするつもりか?」と尋ねるんじゃ。これに対しても陳宮は以下のように答えるんじゃよ。
「私は『孝』の倫理をもって天下を治める者は人の親を害さない、と聞いています。老母の生命は殿の心にかかっています。」
曹操は更に「君の妻子はどうするのだ?」と尋ねると陳宮はまたこれに答えて言うんじゃ。
「私は『仁』による政治を天下に行う者は、人の祭祀を断絶しない、と聞いております。妻子の生命もまた殿の心にかかっております。」
曹操は何とかして陳宮をもう一度登用したいと思ったんじゃろうが、それを察していたのか、曹操がそれ以上口を開かない内に
「どうか早く表で処刑して、軍法を明らかにしていただきたい。」と言い、そのまま表に走り出ていき、引き留めることはもうできんかったんじゃ。
曹操は涙ながらにこれを見送り、陳宮の死後、彼の家族全員を最初よりも手厚く遇し、母親は亡くなるまで、娘は嫁がせてやるまで世話をしたんじゃよ。
この辺りは曹操の器の大きさを感じさせるのう。
さて、これにて陳宮の人物紹介は終了じゃの。続けて能力評価じゃ。今回は全作品に出ておるぞい。
能力評価
陳宮は曹操のために兗州の各地を説得して回り、また逆に曹操に反旗を翻すために、張邈を説得したりする。また自分の知略なら曹操にだって負けない、と言えるだけの自信家でもあったことから知謀は高く評価しておるんじゃ。
じゃが荀攸は知略はあるものおグズグズするから、彼の策略が固まる前に攻め込めば勝利を得られる、とも言っておるんじゃ。孫子では「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る。」と言っておるが、荀攸は陳宮の人物像から、対処法を導き出しておる。この辺りの奥深さはさすがじゃな。
陳宮は演義では参謀としての側面が強いが、史書を見る限りは将の一人としての側面が強いようじゃ。じゃから軍事統率ともそれなりに高く評価しておるんじゃ。知略に優れた将軍、と言う感じじゃな。逆に政治家としての側面は薄いんじゃな。兗州をまとめようとしたことぐらいじゃろうかのう。じゃから政治はちと低いんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、陳宮の能力評価じゃな。
知力、知謀関係が一番高いのは共通ですね。コーエーテクモさんは政治が高いですね。
コーエーテクモさんの場合、知謀と政治は大体セットで高くなる傾向があるからのう。武将じゃと武勇と統率がセットで高くなるのと一緒じゃな。
それを除けば師匠も含めて比較的煮た感じじゃないですか?師匠の評価がやや軍事面が高いぐらいですね。
まあこの辺りは個人の受け止め方の違いぐらいじゃな。傾向としては大体似たようなもんじゃろう。
そう言えば陳宮の話を見ていて思ったのですが、単純に陳宮が野心家だった、と言う話はないですか?
そこは可能性あるかもしれんのう。曹操を兗州牧にしようとした時も、「覇王の業です」と言っておることからも覇道よりの考え方の人物じゃったと思うんじゃ。
それでより良いと思える君主を選んでは引き入れようとした、と言うことですか?
まあ呂布を曹操以上と思ったのだとすれば、そこは見る目がなかったのかもしれんがのう。じゃが下手な理由をあれこれ考えるより、それぐらいシンプルな考えで良いのかもしれんのう。
曹操と最後のやり取りで「臣下としては不忠者ー中略ー殺されるのは自業自得だ。」と言うのも、己の野心で動いたのだと考えれば納得いきますね。
そうじゃな、まあもっと意外な理由を期待しておった人には申し訳ないが、案外そんなもんかもしれん、と言うことで如何じゃろうか。良ければまた次も見てくだされ。
良ければ次も見てくださいね、それではまたです。