三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

董訪(とうほう) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは董訪じゃな。字や生没年は不明じゃ。

多分知らない人の方が多いと思うんじゃが、ある人物とのつながりが強い、そしてなかなか数奇な運命をたどった人物と言えるじゃろうな。

  

さて、今回は董訪じゃな。実はすでに一度彼の名前は出てるんじゃが覚えておるかのう。

はっきりとは覚えていないですけど、董姓の人物に関係あるとすると、あの人しかいないですよね。

ふむ、その様子じゃと覚えておるようじゃの、さすがじゃ(言えん、ワシすっかり忘れていたとは口が裂けても言えんぞい)。

うふふ、師匠忘れてましたね。そんなことじゃ困りますねえ(にやり。

いやいや、人の心勝手に読むでないぞ、まあ早速紹介するとしようかのう。 

人物紹介

さて、董訪じゃが、彼と縁のある人物は董昭じゃな。ワシが荀彧と対になるような人物として紹介した人物で、今回紹介する董訪の兄にあたるんじゃよ。

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この時期、董昭は袁紹に、董訪は張邈にそれぞれ仕えておったんじゃ、じゃが張邈のところで書いておるように、元々は奔走の友であった二人の関係じゃが、反董卓連合軍の際に傲慢になった袁紹を張邈が攻めたことで、二人の関係が悪化してしまったんじゃよ。

このことで董昭・董訪兄弟の運命も大きく変化するんじゃ。袁紹は敵対する張邈の下に董訪がおることで讒言を受け、董昭を処罰しようとするんじゃ。

そこで董昭は袁紹の下から離脱し、献帝の下に向かおうとするんじゃよ。じゃが河内の張楊に引き留められるが、その頃から董昭は曹操に対して協力的になっていくんじゃ。

同時期董訪はまだ張邈の下にいた可能性があるんじゃが、ここから彼の記録はぷっつり途切れるんじゃよ。

次に彼の名前が出てくるのは曹丕の時代になるんじゃ。曹丕が皇帝になると董昭は大鴻臚に昇進し、右郷侯に位を上げたんじゃ。

そして221年、領地の内百戸を分割し、董昭の弟董訪に賜り関内侯に取り立てた、とあるんじゃよ。侯についての説明は如何に載せておるぞい。 

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関内侯は爵位の中では列侯に次ぐ、結構高い爵位なんじゃが、名臣の子供や兄弟が賜ることの多い爵位でもあるんじゃ。董昭の昇進ぶりを考えると、董訪にはそれに匹敵するほどの実績はなく、おこぼれをあずかったのかもしれん。

とは言え元々張邈の幕下に参画しており、一定以上の才能は持ち合わせておったのではなかろうか。まあこの辺りは完全な妄想ネタじゃがな。

さて、董訪の話はこれで終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシ評価のみじゃな。まあこれだけのマイナー人物じゃと仕方あるまいのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 董訪(20歳)  45 30 65 60
 ↓ ↓ ↓ 
 董訪(45歳)  73 57 95 90

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董訪は事績が全く見えてこんので、正直能力の評価はかなり難しいんじゃよ。そこで一応董昭の評価を参考に、考察してみたんじゃ。

董昭の場合、知謀と政治が高めで、軍事面はそれよりやや低めじゃな。董訪もスケールダウンはしておるが似たような評価としたんじゃよ。

 

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雑談ぢゃ

さて、董訪の能力評価じゃな。

数値はともかく知力、知謀が高いのは董昭と同じですね。

そうじゃな、まあ名前だけの場合は近親者の能力から類推するしかないからのう。兄と違って武張っている訳でもなさそうじゃからな。

逆に劉岱や劉繇のようなケースの方が珍しいんですかねえ。

うむ、兄弟いずれもとか、親子そろって優秀と言うケースは案外少ないでのう。荀彧のような例は逆に珍しいケースと言えるじゃろうな。

それにしても張邈のところには、何かちょっと癖の強い人物が揃っていますね。

そうじゃな、張邈勢力もあと一人じゃが、彼もまた個性的な人物じゃぞい。それでは今回はここまでじゃな、次もまたよろしく頼むぞい。

良ければ次も見てくださいね、それではまたです。