三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孔融(こうゆう) 字:文挙(153~208)その1

さて、今回から青州の北海太守となっておった孔融じゃな。字は文挙、生没年から曹操とほぼ同世代なのが分かるのう。

彼は魯国の人で、孔子の子孫として有名じゃな。演義でも出番がそれなりにあり、知っている人も多いじゃろう。

  

さて、今回は孔融じゃな。曹操とは犬猿の仲じゃな。

演義では確かに仲が悪いですが、正史でもそうなんでしょうか。

うむ、おそらくじゃが、儒教では自ら体を傷つけるのは忌むべきことと、考えられておるんじゃ。そう言う観点から行くと、宦官を祖父に持つ曹操は到底認められん存在なんじゃろうな。

曹操自身には罪がないと思うんですが、難しいですね。

そうじゃな、さて、今回はテキスト量が結構あるので、何回かに分けて紹介していくぞい。

わかりました、よろしくお願いします。

人物紹介

孔子老子

『続漢書』によると、孔融孔子二十代の子孫であるんじゃよ。

孔融は幼くして特別な才能を持っていたらしいんじゃ。

当時河南の尹であった李膺と言う人物がおり、世間に名声が高かったんじゃよ。彼は使用人に命じて、当代の優れた人物と先祖の代から付き合いのある家の子孫でしか会わないようにしておったんじゃな。

孔融は10歳余りの時に李膺に興味を抱き、その人柄を観察したいと思ったんじゃ。

そうして李膺の家の門にやってきて、門番に「私は李君の通家(先祖から付き合いのある家)の子孫です。」と言うんじゃ。

李膺自身は孔家と付き合いはないので首をかしげながらも孔融と会うんじゃ。そして李膺孔融に尋ねるんじゃよ。

「お客人のご先祖は、私の家と付き合われたことがあるのですか?」

これに対し孔融は以下のように答えるんじゃよ。

「その通りです。私の先祖の孔子は、あなたの先祖の李老君(老子、名は李耳)と肩を並べる徳義を持っておりまして、弟子であり友人でありました。そう考えると、私とあなたは何代にも渡る通家です。」

実際は李膺老子の子孫ではないんじゃが、姓が同じと言うことで通家ですよね、と言って李膺を感心させるんじゃよ。これが当時10歳の子供であった、と言うことも余計に才の煌きを感じさせたんじゃろうな。

座中の人達はこの返答を見事と思い、みな「エラい子供だ。」と言ったんじゃよ。後に太中大夫の陳煒がやってくると、同席のものがこの話を陳煒に語ったんじゃ。

すると陳煒が少し意地悪なことを言うんじゃな。

「人間は小さい時賢い者でも、大きくなって優れているとは限らないぞ。」

すると孔融は見事な切り返しをするんじゃな。

「もしおっしゃる通りなら、あなたは幼時、実際賢かったのでしょうね。」

孔融も煽るのう。李膺は大笑いし、振り返って彼に向って言うんじゃよ。

「お客人よ、成長されたら立派な人物となられるでしょう。」

党錮の禁

さて、若き日の孔融にはもう一つエピソードがあるんじゃ。

山陽出身の張倹は偏りのない正しい人間だったんじゃが、それ故宦官の中常侍侯覧の怒りと憎しみを買ったんじゃ。張倹は孔融の兄の孔襃と旧知の間柄だったので、彼を頼って逃亡したんじゃ。じゃが孔襃は家を離れて留守だったんじゃ。家には当時16歳の孔融がおったんじゃが、張倹は彼が年少であることから、打ち明けなかったんじゃ。

孔融は張倹が立派な人物であり、追い詰められている様子を察知したので、彼に向って「私が一人であなたのお役に立てないことがありましょうか。」と言って彼をかくまうんじゃよ。

後にその事実が外に漏れて、山陽国の官吏が逮捕に向かうんじゃが、張倹は何とか脱出することに成功するんじゃ。

孔融と孔襃は即座に捕まり、牢に入れられたんじゃよ。孔融は「かばって家にかくまったのは融です。当然融が処罰されるべきです。」と言うんじゃ。

それに対し孔襃は「彼は私をあてにしてやってきたのです。罪は私が原因で起こっているので、弟の咎ではございません。当然私が処罰されるべきです。」と言い互いをかばい合い、死を競い合ったんじゃ。

郡も県もどちらを処罰すべきか決められず、最終的にはお上に裁断を仰ぎ、詔書によって孔襃を処刑させたんじゃ。この兄が生きておればどのようになっておったかのう。彼も相当に優秀だったと思うんじゃが・・・。

この張倹の逃亡は第二次党錮の禁へとつながり、先に挙げた李膺等も、この時に獄死することとなるんじゃよ。

張倹は何とか逃げ延び、天寿を全うすることとなったようじゃが、この党錮の禁での被害はかなり大きかったようじゃな。

ともあれ、これにより孔融の名は遠近に鳴り響いたんじゃよ。

 

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雑談ぢゃ

さて、孔融の紹介一回目じゃな。

さすがに頭の良さをうかがわせるエピソードが多いですね。

そうじゃな、李膺とのやり取り、そして陳煒をやり込める一幕などから、機転の良さを感じさせるのう。

それにしても陳煒をやり込めるところは少し毒気を感じさせますね。

ちと皮肉屋で、恐らく負けず嫌いな部分もあるじゃろうからのう。その辺りが後々の悲劇に繋がらねば良いんじゃがの。

曹操とはちょっと近しいものを感じるのは、気のせいでしょうか。

毒気があるという部分では似ている部分もあるかも知れんのう。じゃが違う部分もある。

それはどこでしょうか。

政治能力じゃな。孔融は頭も良いし、博識で古典の知識を豊富に持っておるが、政治、特に実務能力に関してあまり優れた才は示すことはなかったんじゃ。

話を聞くとどちらかと言えば政治家よりも学者としての方が大成できそうですね。

そうじゃな。次からはその辺りを説明していくとしようかの。

分かりました、良ければ次も見てくださいね、それではまたです。