三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

王脩(おうしゅう) 字:叔治(?~?)その1

さて、今回は王脩じゃな。字は叔治、生没年は不明じゃな。

字に叔が付くと言うことは三男じゃった、ということかのう。

孔融のところでだいぶ書いたんじゃが、改めて紹介するとしようかのう。

  

さて、今回は王脩じゃな。最初孔融に仕え、後に魏の柱石となった人物じゃな。

孔融の時の実績はある程度見ていますが、曹操以降はあまり知らないですね。

そう言えばその辺りは語っておらんのう。それではその辺りも含めて紹介していくとしようかのう。

よろしくお願いします。

人物紹介

若き日の王脩

王脩は北海郡営陵県の人なんじゃよ。

彼は7歳で母を失ったんじゃが、隣の村は丁度その日が村の祭りだったらしいんじゃな。翌年の隣の村が祭りの時に王脩はひどく悲しんでおった、と言うのを聞き、彼のために祭りをやめたそうじゃ。

何か人望があったようにも思えるが、逆にごり押しで祭りをやめさせたように思えんこともない。じゃが彼を思ってワザワザ隣の村が祭りをやめてくれる、と言うのは良い話なのではなかろうか。

さて、そんな王脩じゃが20歳の時に勉強をしに南陽に出かけ、張奉と言う人物の家に宿を取ったんじゃ。

じゃが、運悪く張奉の家族全員が重病にかかり、誰も診る人がいなかったそうじゃ。そこで王脩は親身になって、彼らを介抱し、病気が治ってから立ち去ったとあるんじゃ。

こういう人柄だから、多分上の祭りの話のように周りも慕ってくれたんではなかろうか。

孔融からの招聘

さて初平年間(190~193年)に王脩は北海太守の孔融から召し出され主簿とされ、高密県の令となったんじゃ。

高密県には孫氏と言う以前から勢力のある親分がおったため、子分や客人達は度々法律を犯した、とあるんじゃ。住民の内に追いはぎを働く者がいても、孫氏に逃げ込めば役人は逮捕できなかった、とあるから相当な話じゃな。

そこで王脩は役人と住民を連れて彼の屋敷を取り囲んだんじゃよ。

孫氏が抵抗して守りを固めると、役人と住民は気おくれがして思い切って近寄ろうとはしなかったんじゃ。

すると王脩は役人と住民に命令したんじゃよ。「思い切って攻めないものがおれば、やつらと同罪だぞ。」この厳しい王脩の態度に逆に孫氏が怖気づき、悪人を差し出したと言うんじゃ。

少々荒っぽいが法が通用しない相手じゃからこその力技じゃな。ともあれ、これ以降現地の顔役たちは王脩を恐れて服従するようになった、と言うから、その効果は絶大だった、と言う訳じゃな。

孝廉への推挙

この実績もあり、孔融は王脩を孝廉に推挙しようとするんじゃな。王脩は一旦邴原に譲ろうとするんじゃが、孔融は聞き入れず、説得したんじゃな。

孔融集』によるとこの時の布令が載せられておるんじゃ。

「邴原の立派さについては余もすでに承知している。昔、高陽氏(黄帝の孫の家)に優れた子息八人がいた。堯は採用できず、実際に彼らを登用したのは舜であった。邴原は位階のことを気にしない人物と言って良い。彼を後の賢明な太守に残しておくのもまた良いではないか。」

王脩が重ねて辞退しようとすると、孔融は答えたんじゃ。

「そなたは身の清潔さを保ち、いくつもの困難を次々とためされながら、対策を立ててほとんど間違わず、人民に対してたゆまず愛情と訓戒を注いでいる。

余は汝の勲功を嘉し、汝の優れた徳に対応し、そのために汝を朝廷に推挙するのである。それを辞退して良いのか。」

じゃが当時天下は乱れており、結局王脩は都へ上れなかったようじゃな。

孔融の危機を救う

さて、しばらくすると郡中に反乱を起こす者があり、孔融に危機が訪れるんじゃよ。このことを聞くと王脩は夜中にもかかわらず孔融の下へ向かうんじゃ。

孔融の方はこの危機の時に側近に向かって「危難を犯してやってくるものがあるとすれば、それは王脩だけじゃろう。」と言うんじゃよ。

丁度そのタイミングで王脩が到着し、孔融は彼を功曹に任じたんじゃな。

また膠東には乱暴を働く者が多くいたので、孔融は再び王脩に命じて膠東の令を司らせたんじゃよ。

膠東の人公沙盧の一族は強力で、勝手に陣営塹壕を作って租税の取り立てを拒否しておったんじゃ。

今度は王脩、僅か数騎の供を連れてまっすぐにその門を入り、公沙盧兄弟を斬った、とあるんじゃ。あっという間の出来事に公沙氏の側も度肝を抜かれ、誰も刃向かうことができなかった、とあるんじゃ。

王脩と言うとゲームにも結構登場することが多いんじゃが、全体的に文官としての評価に落ち着くんじゃが、孔融の危機を兵を率いて救いに言ったり、自ら剣を振るい賊を斬るなど、ただの文官とは一線を画す存在ではなかろうか。

この王脩の果断な行動から乱暴は少し減ったんじゃ。

また王脩は休暇で家に帰っている場合でも、孔融に困難なことがある場合は必ず駆け付けたそうじゃな。孔融は常に王脩のおかげで難を逃れたんじゃよ。

さて、キリが良いのでいったんここで切るとするかのう。次は袁譚に仕えるようになってから、そして曹操に仕えるようになっての話までかけると良いのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、王脩の若い頃のエピソードじゃな。

結構軍も使うんですね。ゲームですと完全に文官ですから少し意外でした。

そうじゃな、しかも文官として見てもかなり優秀じゃ。まあ文武兼備じゃからこそ、武がからっきしの孔融を支えることができた、と言うことじゃろうな。

そう言えば王脩を三男と言っていましたよね。字の法則性です?

そうじゃな、字の法則性に関しては、辛評のところに簡単な説明を入れておるぞい。一度見てみるとええぞ。

 

kumajisan.hatenablog.com

 

それにしても、王脩のような優秀な部下がいると上は楽そうですね。

まあ上がそれに胡坐をかいてしまうようではいかんがのう。さて今回はここまでじゃな。次は袁譚に仕えて以降の話じゃ。良ければ次もよろしく頼むぞい。

良ければ次も見てくださいね、それと索引ページを下に載せておきますので、気になる人がいたら見ていってください。

 

kumajisan.hatenablog.com