さて、今回紹介するのは彭璆じゃな。
彼に関してはほとんど記録がないようじゃな。字、生没年は不明じゃ。
彼がどんな人物か、追い求めるのは難しいかもしれんのう。
さて、今回は彭璆と言う人物じゃな。。
うーん、さすがにこの辺りはわからない方になりますね。
そうじゃな、ワシも史料を見ずに名前だけではどんな人物か分らんじゃろうな。
師匠でもそれだけと言うことはかなりのマイナー度合ですね。
うむ、それではさっそく紹介していこうかの。
人物紹介
さて、今回紹介するのは彭璆じゃな。
彼についてはわずかな記述しかないようじゃ。まず『邴原別伝』によると、魯国の孔融が北海にいた時に、公卿に任命されてもおかしくない人物を財務担当官として選抜せよと命令を下したんじゃ。この時に彭璆は計吏に任命されるんじゃな。
また、崔琰伝注釈の『続漢書』のところには以下のように書かれておるんじゃ。
孔融が北海の相になった時に、王脩を孝廉に推挙しようとしておったのは既に王脩のところ等で書かれた通りじゃが、この時に邴原は有道に、彭璆を方正に推薦したと言うんじゃ。
有道も方正も孝廉同様、朝廷が地方に求める官吏推薦の科目なんじゃな。
このことから恐らく、彭璆も王脩や邴原等と並ぶぐらい優れた人物だったのでは・・・とも思うのじゃが、如何せん、彭璆に関してはこれ以外に情報がないんじゃな。
と言うことで人物紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行くぞい。
今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
彭璆は孔融から方正として推薦されており、また計吏として登用されていることより、やや政治の評価を高くしておるんじゃよ。
ただ孫邵と違い、その後の事績が全く見えてこんことから、あまり極端に高くすることはできんのじゃ。全体的には抑え目な評価となっておるんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、彭璆の能力評価じゃな。
さすがに実績がないとそこまで評価は高くならないですね。
そうじゃな、やはり名声のみで評価を高くするのは難しいのう。
記録が残る人と残らない人の差と言うのは何が違うのでしょうね。
どうじゃろうな。まあやはり実績と官位が伴っていかないといかんのじゃろうな。
それでは少し短いですが、今回はここまでですか。
うむ、まあこう言う人物も今後どんどん増えるじゃろう、と言うかこういう人物が多くないと、全員紹介する前にワシの寿命が尽きてしまうぞいw
分かりました、次もよろしくお願いします。あ、それと人物索引も載せておきますね。気になる方は以下の索引からご覧ください。