さて、今回は武将孫観の紹介じゃな。
彼も尹礼や呉敦と同様、臧覇と共に徐州で割拠しておった人物なんじゃ。
しかも彼は記述を見ていくと尹礼達とはもう一段評価が高いようなんじゃな。そんな孫観の人物像を追っていこうかの。
さて、今回は孫観の紹介じゃな。
そうじゃ、じゃが上でも書いておるように、孫観は尹礼等とはまた少し評価が違うようなんじゃ。彼の実績を追っていくと少し違うことがわかるんじゃよ。それでは彼の人物について見ていくとしようかのう。
わかりました、よろしくお願いします。
人物紹介
臧覇の一党として
さて、孫観の名前が出てくるのは呉敦や尹礼同様黄巾の乱の時じゃな。『魏書』によると、この時孫観は臧覇と共に陶謙に従って黄巾の賊を攻撃して打ち破り、騎都尉に任じられるんじゃ。
その後、呂布が曹操に敗れると、臧覇達は南を隠すんじゃ。この辺りもすでに語られておる通りじゃの。
曹操は臧覇を探し出し、話をして彼の人物像にほれ込むんじゃ。そして彼の徒党であった孫観、そして孫観の兄である孫康を招かせるんじゃよ。
そしてこの時孫観は北海太守に、孫康は城陽太守に任じられるんじゃよ。
更に『魏書』によると、孫観は臧覇と共に戦闘に参加し、常に先陣を承り功績を上げた、と言うんじゃ。
彼は青・徐の賊どもを征伐平定し、功績は臧覇に次ぎ、呂都亭侯に取り立てられるんじゃよ。
曹操と南皮で落ち合った時には臧覇と共に、子弟を鄴に住まわせるようにしたんじゃ。曹操は孫観を高く評価し、偏将軍に任じ更に青州刺史に昇進させたんじゃよ。
その後曹操に付き従って孫権を濡須口に征伐し、この時は節まで与えられたんじゃ。
しかし孫権討伐の折、流れ矢が命中し左足に傷を負ってしまったんじゃ。しかし彼は傷も顧みず力の限り戦ったんじゃ。曹操は彼の身を案じ、
「将軍は深く重い傷を受けているのに、勇猛の気をいっそう奮い立たせているが、国のために我が身をいとおしむべきではないかね。」
と言い、無茶をしないようにねぎらうんじゃ。
しかし結局この時の傷が悪化し、亡くなってしまうんじゃよ。惜しい人物が亡くなってしまった、と言えるじゃろう。
と言ったところで孫観の紹介はここまでじゃな。続いて能力評価と行くぞい。
能力評価
孫観は臧覇陣営の実質的なNo.2として青州刺史にまでなっておることから、呉敦や尹礼以上の評価として、臧覇に一番近い能力としたんじゃ。
郡太守から刺史になっておることから、軍事以外も万遍なく高くしており、並の相手なら彼単独で事に当たることができる存在と言えよう。。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、孫観の能力評価じゃ。
三国志14ですとちゃんと呉敦や尹礼よりは高めの評価になっているんですね。
そうじゃな、ちゃんと正史の事績を追いかけているように思えるのう。
天舞さんと鄭問さんはそう言った差別化は特にみられない感じですかね?
うーん、この辺りの違いは良く分からんのう。ただ天舞さんも鄭問さんも、そもそも臧覇の評価がもう一つじゃからのう。
その辺りのあおりを受けたような感じですかね。
そうじゃな。じゃが字も残り、注釈とは言え、彼が魏に降伏してからの活躍も残っておるからのう。
名前だけしか出てこない方もいますからねえ。
そうじゃな、彼もまた評価できる実績を持った人物と言えるじゃろう。さて、今回は孫観の紹介じゃったが、どうじゃったかのう。面白かったならば次もまたご覧くだされ。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。