さて、今回紹介するのは于茲じゃな。字や生没年は不明じゃ。
笮融の配下としてある人物と戦ったりもしておるんじゃが、彼も実績が良く分からん人物じゃのう。
さて、今回は于茲の紹介じゃな。笮融の配下だった人物じゃよ。
そう言えば師匠、笮融って徐州のあちこちで略奪や殺人とかまでしているじゃないですか?
そうじゃな、かなりあくどいことをやっておるんじゃ。
少し思ったのですが、曹操の徐州虐殺って、実はこの笮融のやったことを、曹操がやったこととしてすり替えられた可能性はありませんか?
うむ、そこに気が付いたんじゃな。実はワシもその可能性は皆無ではないと思っておるんじゃ。特に『曹瞞伝』で書かれた曹操が虐殺したとされる地域は元々笮融が支配しておった地域じゃ。とは言え情報が少ないから断言もできん。いろんな情報をかき集めた結果としてその可能性があるんじゃなかろうか、とは思っておるがのう。それにのう・・・
それに、どうされました?
少なくとも曹操なら趙昱や朱皓と言った人物を殺害したりはせんじゃろうからの。笮融通るところに血の雨が降る、この方が説得力はあるもんじゃ、さて余談が多かったのう。于茲の紹介と行こうかのう。
人物紹介
さて、于茲についてじゃが、実は彼がこの時期から、笮融に従っておったかどうかは不明なんじゃ。
それと言うのも史書における彼の出番は一ヶ所だけじゃ。
孫策伝の注釈『江表伝』によると、劉繇の将であった笮融と薛礼じゃが、秣陵城に薛礼が、その件の南部に岝融が軍を構え、侵攻してきた孫策と対峙しておったんじゃ。
固く守って動かない笮融を見て、孫策は先に薛礼を攻めるんじゃな。薛礼は逃亡するんじゃが、その後、劉繇に一旦牛渚の砦を取られるんじゃよ。
しかしすぐさま孫策はこれを打ち破り、砦を取り戻すんじゃな。
そして改めて笮融を攻めるんじゃが、この時流れ矢が腿に当たり、傷を負うんじゃ。この時孫策陣営から逃亡者がおり(何とも都合よくw)、笮融に進言するんじゃ。
「孫郎(孫策のこと)は矢に当たって死んでしまいました。」
笮融はこれを聞くと大いに喜び、すぐに武将の于茲をやって孫策の軍に討ち入らせたんじゃ。じゃがこれは孫策の罠だったようじゃな。
孫策は兵士たちに戦いを挑ませるとともに、背後に伏兵を設けたんじゃよ。そして敵軍が打って出てくると敗走したふりをして、敵が伏兵の中に入ったところで、徹底的に打ち破ったんじゃ。
そしてこれ以降、于茲の名前は出てこなくなるんじゃよ。この時の戦いで戦死したか、敗走からそのまま逃亡したかのどちらかじゃろうな。
と言ったところで于茲の紹介はここまでじゃ。続いて能力評価と行くぞい。今回は天舞さんで出ておるようじゃな。
能力評価
于茲は笮融の将と言うことで、軍事は少し高めじゃ。じゃが孫策の策略にやられておることから、その他の能力は全体的に抑え目じゃな。軍事もそこまで高い評価はできんかったのう。
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雑談ぢゃ
さて、于茲の能力評価じゃな。
師匠の評価は結構低いですね。天舞さんは武勇がそこそこありますね。
まあ、軍人と言うことで軍事能力はそこそこ評価しておる、と言うのは変わらんのう。
それにしても于茲は何時ごろから笮融に仕えてたんでしょうね。
そこは分らんのう。もし下邳の頃からだとすると、略奪や虐殺にも加担しておることになるんじゃが、どうなんじゃろうな。さて、于茲の紹介じゃったが、どうじゃったかのう。面白かったならば次もまたご覧くだされ。
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