さて、今回は陶謙の紹介2回目じゃな。
今回は注釈に載っている人物像を追っていこうと思うんじゃ。
さて、今回は陶謙の異聞、異説の紹介じゃな。できれば能力評価まで行きたいのう。
史書の方でもかなりのことをやっていますよね。異説はどうなんでしょうか?
まあこちらも奥歯にものが挟まったような物言いじゃな。
と言うことはこちらでも結構評価が分かれるのですね。
そうじゃな、それでは早速紹介と行こうかの。
人物紹介
陶謙の嫁探し?
『呉書』によると陶謙は14歳当時でもまだ絹布を綴り合わせて軍旗を作り、竹馬に乗り、村中の子供たち全部を引き連れて遊んでいたと言うのじゃ。
この頃同じ県出身の甘公(当時蒼梧太守)が外出の途中で彼と出会い、彼の顔形を見て面白いと感じ、彼と語り合い、大層気に入るんじゃ。
そしていきなり自分の娘を彼の妻にすると約束するんじゃよ。
しかしこの話を聞いて甘公の夫人が大激怒。
「陶家の息子はけじめもなく、気ままに遊び惚けていると聞いておりますのに、どうして娘をやるなどと約束なさったのですか。」
しかし甘公は以下のように答えるんじゃよ。
「彼は人並外れた容貌をしている。成長すれば必ず大成するだろう。」
この辺りの彼の評判はなかなかのようじゃな。
頑固な陶謙
これまた『呉書』によると、陶謙は剛直な人物で、節義のある人物であったため、若くして孝廉に選ばれ、尚書郎に取り立てられ、舒県の令に任じられたそうじゃ。
この時舒県の上の盧江郡の郡守であった張磐は同郡出身の先輩で、陶謙の父の友人だったことから陶謙に対しても親近感を持っておったようなんじゃ。
しかし陶謙はそうでもなかったらしく、張磐に頭を下げることを潔しとしなかったようじゃ。そう言う態度をとっていくことで、張磐を不愉快にさせ、遂に二人は不和となったようなんじゃ。
また陶謙は役人としては清廉潔白だったようじゃが、犯罪を追及することはしなかった、とも書かれておるんじゃ。
個人としては律するが、周りはあまり気にしない、協調性に欠ける部分があるようにも思えるのう。
またこの他者に頭を下げることを善しとしない性格は、他にも書かれておるんじゃ。これまた『呉書』じゃが、張温に従い韓遂を討伐した時のこと、陶謙は張温の指揮ぶりを軽蔑し、遂には宴会の席で張温を侮辱するんじゃ。
張温は怒り陶謙を一度は左遷するも、ある人物の助言で彼を許して再度帰還させるんじゃ。この人物の名前は残っておらんが、この時は陶謙に対しても
「張温を怒らせたのはあなた(陶謙)自身の罪ですぞ。張温はそれを許したのですから、どうか気持ちを抑え、辞を低くして謝罪されるように。」
陶謙も承知するんじゃが、実際に宮殿の門のところで会うと、
「私は朝廷にお詫びに上がったまでで、公のためではありません。」と言うんじゃ。
やはり協調性に問題があるように思えるんじゃがどうかのう。
曹操の策略?
これまた『呉書』にあるんじゃが、曹操の父の曹嵩が泰山で殺害され、曹操はその責任を陶謙にかぶせ、陶謙を討伐したいと望んだんじゃが、しかし彼が強大な力を持っていることを恐れていたんじゃ。そこで州と郡の軍勢を解散させようと上奏するんじゃ。
そしてそれに対して陶謙は軍を解散できない正当性を主張し、陶謙が軍を解散する意思がないことを確認した曹操はついに軍勢を率いて攻め込み、彭城で大量虐殺をした、とあるんじゃ。
じゃがこの話は色々とおかしいんじゃ。
まずこの当時献帝は長安におり、曹操が朝廷を動かして陶謙の軍を解散させる、等と言うような芸当はできんのじゃよ。
また陶謙の力を恐れて軍を解散させようとしたのに、陶謙にその意志がないことを知ると軍を率いて攻め込むとか、だったら最初から攻め込めばええやん、と突っ込みたくなるぐらい、やってることが場当たり的でいい加減な話じゃ。
この話は裴松之も、この詔勅が曹操の意思で出されたはずはない、と否定しておるんじゃよ。
張昭の哀悼の辞
陶謙が194年、63歳で亡くなるんじゃ。この時張昭らが哀悼の辞を作るんじゃ。
内容は美辞麗句で陶謙をほめそやし、彼が亡くなることで、徐州の人民たちは頼るべき人物を失ってしまった、と言うんじゃ。
しかし、これはまあ故人を貶めないための大人の対応であった、ということじゃろうな。
それと言うのも張昭伝を見ると、陶謙が彼を茂才に推挙するんじゃが、張昭はその推挙に応じなかったため、陶謙は自分が軽んじられていると考え、張昭を捕えてしまうんじゃよ。
この時は趙昱が必死に陶謙を説得したことでやっと釈放されたんじゃよ。
こうやって考えていくと、誇り高いのは良いんじゃが、それが変な方向に働いて、周りの人間と、軋轢を発生させておるように思えるのう。
ただ、彼については劉備に徐州を譲ったという一点で、マイナスだった評価を少しプラス方向に戻せたのではなかろうか。
ただトータルで見るとそれでもややネガティブな評価になるのではないかのう。
さて、そんなところで人物評価はここまでじゃ。続いて能力評価と行くぞい。今回は全作品に出ておるぞい。
能力評価
陶謙は黄巾の賊徒をあっさりと破ったらしいことから、軍事能力はそこそこ高く評価しておるんじゃ。しかし曹操には敗れておったり、また協調性がなく上に立つ人間としては性格的に色々問題があるらしきことから、統率は低めじゃな。
また地頭は良いじゃろうことや、袁紹・曹操包囲網に参加する等、己の勢力の活かし方をよくわきまえておることから知謀も高めじゃ。じゃが張昭を捕えたり、天子を名乗る闕宣と手を結ぶなど、政治的には悪手をいくつも掴んでおったことから政治的な評価は抑え目としたんじゃ。丁度笮融とかみ合う能力値じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、陶謙の能力評価じゃ。彼もまた評価は難しいのう。
師匠と他の人は大分評価が違いますね。統率と政治が他は高いのに師匠は低いんですね。
そうじゃな、闕宣と手を結び、張昭を捕え、また曹操の父殺害、と陶謙の政治的判断にはいろいろと問題あると思うからのう。
その一方で、張温の指揮を軽蔑するぐらい、己の才覚には自信を追っていた、と言うことでもあるのですね。
そうじゃな、色々考えると関羽とかにちょっと近しい人物じゃったかもしれんのう。さてそんなところで陶謙の紹介は終わりじゃな。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。