さて、今回紹介するのは闕宣じゃな。字や生没年は不明じゃよ。
後漢の混乱に紛れて、勝手に天子を称した人物なんじゃ。そして陶謙は彼と手を結んだんじゃな。
さて、今回は闕宣じゃな。実際には配下と言う訳ではないんじゃろうが、一応ここでは陶謙配下としておるぞい。
演義だと別に天子を名乗るぐらい、と言う感じもしますがそうではないんですね。
うむ、三国で皇帝が鼎立するから勘違いしがちじゃが、まだ後漢が健在の状態で勝手に王や天子を称するのはやはり恐れ多いことなんじゃ。
そう考えると陶謙も何を思って手を結ぼうとしたのか、良くわからないですね。
そうじゃな、その辺りは当人でなければもはやうかがい知れんのう。ともあれ人物紹介と行くぞい。
人物紹介
さて、闕宣じゃが、史書においてはあまり記述がないようじゃな。
『武帝紀』及び『陶謙伝』によると闕宣は数千人の軍勢を集め、天子と自称したんじゃ。
この時に陶謙は華と費を奪い、任城を攻略した、とあるんじゃ。曹操の父曹嵩は華県におったと言うので、おそらくこの時に殺害されたんじゃろうな。
と言うか地図を見るとかなり兗州に陶謙は手を伸ばしておるんじゃな。これは曹操でなくとも反撃で徐州を攻めるじゃろうな。
陶謙伝で、闕宣と同盟を結び、略奪を働いていた、とあるんじゃが、恐らくこの兗州攻めの時に略奪を働いていたと思うんじゃよ。
さて、しかしその後陶謙は闕宣が邪魔になったのか、彼を殺害し、その軍勢を吸収した、とあるんじゃ。天子を名乗らなければ、もう少し違った人生があったかもしれんが、名は残らんかったかもしれん。
難しいところじゃのう。ともあれ闕宣の紹介はここまでじゃな。
続けて能力評価と行くぞい。今回はワシ以外じゃと天舞さんのみじゃな。
能力評価
闕宣も目立つほどの実績はないので全体的な能力は抑え目じゃな。一応数千人を兵として集め、自ら天子と称することができるぐらいのカリスマ性はあった、と言うことから統率はやや高めじゃな。他は目立つ実績もないので、全体的に抑え目じゃ。
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雑談ぢゃ
さて、闕宣の能力評価じゃ。一応カリスマではあったと思うので統率は高めとしたぞい。
天舞さんの能力、すごい高くないですか?
ううむ、ここまで知謀が高くなるようなエピソードはないと思うんじゃが、これは良く分からんのう。
人徳はともかく、政治とかも高いですからね。
字も違うし、別の人物かもしれんが・・・じゃが下邳出身とか被るしのう。この辺りは良く分からんのう。さてそんなところで闕宣の紹介は終わりじゃな。
良ければ次もご覧ください。それと他に興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。