さて、今回紹介するのは趙昱じゃな。すでに何度か名前が出てきておる人物じゃ。
字は元達、生没年は不明じゃが、恐らく194年から195年頃に亡くなったんじゃろうな。
さて、彼の紹介と行こうかの。
さて、今回は趙昱の紹介じゃな。
演義ではほとんど名前聞かないですが、史書では結構な有名人ですよね?
そうじゃな、若くして亡くなったのがちと惜しいのではないかな、と思える人物じゃな。
それでは紹介をお願いします。
うむ、早速趙昱の紹介と行こうかの。
人物紹介
若き日の趙昱
謝承の『後漢書』によると、趙昱が13歳の時に母が病気になり、三ヶ月の間病床に伏したことがあったんじゃ。
趙昱はしょんぼりして、やせ衰え、まばたきもせず、手に栗を握り、開いてその数で生死を売らない、血涙を流しつつ祈祷までしたので、郷里の人々は、その親孝行ぶりを称えた、とあるんじゃ。
そして処士(仕官しない士人)であった、綦毋君と言う人物の下に付き、『公羊伝』を学び、広く種々の経典に通暁した、とあるんじゃ。
学士としてかなり優秀じゃったことが伺えるんじゃが、どの程度か、と言うと学問に没頭するあまり、(屋内に閉じこもったきり)外の菜園を覗いてみることもせず、親しい者も疎遠な者も、彼のかを見ることはまれだった、と言うことなんじゃ。
朝夕は奥へ入って両親に挨拶するんじゃが、すぐに自分の部屋へ引き返した、とあるんじゃな。彼の学問への傾倒ぶりは相当なもんじゃな。
州郡からの招聘
しかも引きこもりのような生活をしながら、彼の人柄は高潔かつ廉直であり、しっかりと礼儀を身に着けて生活し、清らかな精気と威厳に満ちた慎み深さのため、誰も彼の志を損なうものはいなかった、とあるんじゃ。
善行を称えることによって教化を高め、悪行を糾弾することによって風俗を正したんじゃよ。
当然州や郡からお召がかかったんじゃが、彼はいつも病と称して応じなかったんじゃよ。
後に孝廉に推挙され、莒県の長に任命されると五教(仁・義・礼・智・信)を高く掲げ、その政治は瑯邪の模範となった、と言うんじゃ。
後黄巾の乱が勃発すると、軍や県では軍兵を徴発させたが、趙昱はその処置が第一と評価されたんじゃ。
当時の徐州刺史の巴祇は、趙昱を最高の功績があると上奏して、昇進と恩賞にあずかるはずであったが、趙昱はこれを恥ずかしいことと考え、感を捨てて家に帰ったんじゃ。
何となく彼も隠者の気質があるんかのう。
陶謙からの招聘
さて、一旦感を捨てた趙昱じゃが、後に陶謙が彼を別駕従事として招聘するんじゃ。趙昱はいつものように病と称して就任を逃れようとするんじゃが、あの手この手を使って招聘しようとし、ついには刑罰にかけると脅したんじゃ。
これで仕方なく趙昱は腰をあげるんじゃよ。こうして彼は茂才に推挙され、広陵太守に昇進したんじゃ。
じゃがこの頃、笮融が広陵に流れてきたんじゃ。彼は軍勢を率いており、後漢書では趙昱は軍勢を率いて防戦し、敗北を喫して殺害された、とあるんじゃが、これは笮融のところの記述と齟齬がみられるのう。
あちらは本伝の内容じゃが、ちと話が創作クサい感じもするから、後漢書の方が真実に近いのやもしれん。
そもそも笮融が徐州でやっておった略奪行為等を知っていれば、趙昱が安直に彼を迎え入れたりはしないじゃろうしのう。
さて、こうして趙昱の短い人生は終わったんじゃよ。
呉の二張との関係
さて、趙昱じゃが、呉の張昭、張紘との意外な関係性が見えてくるんじゃよ。
まず張昭じゃが、彼も趙昱同様陶謙が茂才に推挙したんじゃが、張昭はその推挙に応じなかったんじゃ。
これを侮辱と感じた陶謙は張昭を捕え、獄に繋いでしまうんじゃな。
この時、趙昱が全力で救出を図ってくれたおかげで、張昭は釈放されることとなるんじゃ。
続いて張紘の方じゃが、彼は趙昱が広陵太守で会った時に孝廉に推挙されたんじゃよ。後に趙昱が笮融に殺害されると、張紘は深く悲嘆し憤ったんじゃ。
じゃが彼にも笮融を討伐するだけの力はなかったんじゃ。ここでいったん趙昱の家系は絶えるんじゃな。
じゃが張紘が会稽東部都尉に着任すると、役人を瑯邪にやって趙昱のために祭りを行わせるとともに、一族の者を探し出して後を継がせるようとりはからせたんじゃよ。
呉の二張との関係性はなかなか興味深いものがあるのう。
さて、そんなところで趙昱の人物紹介は終わりじゃな。
続けて能力評価じゃ。今回はワシ以外じゃと三国志14のみのようじゃな。
能力評価
趙昱は短い期間でしか活躍しておらんが、その短い期間に徐州でも屈指の実績を残した、と言えるじゃろうな。それ故若くして亡くなったのが残念じゃ。政治に比べ、知謀がやや抑えめなのは、笮融によって騙され殺害された件を考慮して、じゃな。後漢書のように戦って敗れたのであれば、知謀はもう少し高くして、軍事面を抑えるようにしても良いかもしれんのう。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、趙昱の能力評価じゃ。彼はただ有名と言うだけでなく、周囲の人物との関係性を考えると面白いのう。
確かに二張との関係を考えると、あまり低い評価にもできないような感じがしますね。
そうじゃな、もっとも彼の場合はわずかな期間でもかなりの実績を出しておるから、評価するのに困ることはないがのう。
コーエーテクモさんは知謀もそれなりに高いんですね。
ワシの後漢書の話に従った場合の能力に近いんじゃなかろうか。ともあれ岝融のような人物に殺害されたのはちと悲しい話じゃのう。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次も見てくだされい。
他に興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。良ければ次もご覧ください。