三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

郭貢(かくこう) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介する人物は郭貢と言う人物じゃな。

字や生没年は不明じゃ。実は既に過去出てきておるんじゃよ。

彼はどんな人物であったか、簡単に見ていくとしようかの。

 

さて、約一週間ぶりの記事じゃな、GW中はどうじゃったかのう。

あんな状況ですから基本何処にも出かけていませんね。

そうか、ワシも基本田舎に引きこもっておったのう。まあ今年はモンハンがあったから時間は幾らでも潰れたがのう。

モンハン人気あるみたいですねえ、師匠、だいぶ進んだのですか?

まあ、ワシの場合手練れの友人がおるからのう、ワシ程度の腕前でもランクはメキメキ上がったぞい、そろそろハンターランクは100じゃな。

ちらっと聞いただけでもだいぶやりこんでる感じがありますね。でもボチボチ休みボケは直してくださいね。

そうじゃな。それでは郭貢について、早速見ていくとしようかの。 

人物紹介

さて、今回紹介するのは郭貢じゃな。実は過去荀彧のところで出てきておるんじゃが、覚えている人はいるかのう。

彼はこの時期予州刺史だったんじゃ。

荀彧伝によると、呂布による兗州動乱の折、多くの者がその反乱に加担しようとしておったが、鄄城に夏侯惇を呼び寄せ、反乱計画に加担しようとした数十人を処刑してやっと城内は落ち着いたんじゃ。

じゃがそんなところに予州刺史の郭貢が数万もの大軍を率いて鄄城の城下に到達したんじゃ。彼が呂布と手を結び攻めてきているのではないか、と言う人もおり、城内の人々は恐れおののいていたようなんじゃ。

そんな状況で郭貢は荀彧に会見を申し入れてきたんじゃよ。荀彧は当然のように出かけようとするんじゃが、夏侯惇は当然反対する。

「君は州全体の押さえですぞ。行けば危うい、いけません。」

それに対して荀彧は次のように答えるんじゃ。

「郭貢と張邈は立場上平素から結託していたはずがない。今いち早くやってきたのは、謀がまだ決まっていないからに違いない。

まだ決心しない内に彼を説得すれば、たとえ見方としては役立たなくとも、中立の立場を取らせることはできる。

もし初めから疑ってかかれば、彼は腹を立てて決心してしまうだろう。」

会見した郭貢は荀彧に恐れた様子がないのを見て、鄄城は容易に攻めきれないと判断し、軍を引き上げて立ち去った、とあるんじゃよ。

こうして荀彧は数少ない拠点を保持することに成功したんじゃよ。

そして史書における郭貢の出番もここまでなんじゃな。

と言ったところで郭貢の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかのう。今回は鄭問さんのみ出演しておるようじゃ。ちと意外じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 郭貢(20歳)  60 65 50 55
 ↓ ↓ ↓ 
 郭貢(45歳)  90 95 79 84

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郭貢は予州刺史として数万の軍勢を引き連れて鄄城に到達しておることから、単純に軍の統率は無難にこなすタイプと判断し統率が高めじゃな。

一方、荀彧の堂々とした対応により、兗州の状況を見誤ってしまったことから、知謀がこの中では一番抑え目じゃ。実績がほとんどないため、全体的に抑え目の評価じゃな。

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 郭貢  5 6 9 13 16

 

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雑談ぢゃ

さて、郭貢の能力評価じゃな。

鄭問さんは政治が、師匠は統率が一番高いですね。

鄭問さんは予州刺史である、と言う肩書から政治が一番になったんじゃろうな。

師匠の場合は軍勢数万を率いて、と言う部分を評価した、と言うことですね。

そうじゃな、実際に数万率いておったかは、少々怪しい部分じゃがのう。

荀彧の功績をより大きく見せるための手法ですね。

まあ実際にそれだけの軍勢を率いておったのかもしれんが、正確な数字までは分らんからのう。じゃがそれだけの兵数を率いておったならば、相応の統率力は持っておった、と思うんじゃよ。

なるほど、それにしてもやはり記述が少ないと評価が難しいですね。

うむ、こればかりが仕方ないのう。さて、郭貢の紹介はここまでじゃな。良ければ次もまた見てくだされ。

良ければ次もご覧ください。それと他に興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。