三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

袁胤(えんいん) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介する人物は袁胤じゃな。

字や生没年は不明じゃ。彼は袁術の従弟に当たり、袁術に付き従っておったんじゃ。彼は袁術死後、どのような人生を歩んだんじゃろう化、順番に見ていくとしよう。

 

さて、今回は袁胤じゃな。

袁胤はマイナーですけど、確か演義も出ていませんでしたっけ?

うむ、演義じゃと確か袁術の甥で、陣営の貴重な後継者候補になっておったかのう。

ああ、それで結構出番もあったのですねw

そう言えば袁術死後、彼がどうなったのか、ワシもあまりきちんと情報をまとめたことなかったのう。ちとまとめてみようかのう。

分かりました。よろしくお願いします。

人物紹介

丹陽太守となる袁胤

さて、袁胤の記録について見てくとしようかのう。

袁術孫策が対立しておった時のことじゃが、袁術は従弟の袁胤を丹陽太守として送り込んでおったんじゃ。

実は袁胤の前の丹陽太守は周尚と言う人物だったんじゃ。周と言う姓でピンときた方もいらっしゃるかもしれんが、彼は後の呉を代表する人物周瑜の叔父にあたるんじゃよ。

そしてこの頃周瑜はこの叔父の周尚のところにいたんじゃな。

袁術はそのまま周瑜を袁胤の下につけて、取り込もうとしたようなんじゃが、周瑜袁術が結局は失敗すると睨んで、離反したようじゃな。残念な話じゃ。

さて、その状況を見て、孫策は徐琨と言う武将に命じ、袁胤を討伐して代わって丹陽太守とならせたんじゃ。袁胤は恐らくまた袁術の下に戻ったのであろうな。

袁術はこのことで孫策を恨み、山越(呉南部の山間部に多数潜んで生きておった異民族。この後もずっと孫呉の頭を悩ます存在)とかを扇動して孫策を討たせようとしたようじゃな。

袁術死後の袁胤

袁術の死後、袁胤、そして娘婿の黄猗は曹操を畏れて、寿春を守り通そうとはせずに袁術の柩を担ぎ、その妻子や配下の男女を引き連れて皖城の劉勲の下に身を寄せたんじゃ。じゃが、劉勲の下では十分な食料を得られず、苦労しておったようじゃな。

その後の袁胤自身の消息は記載がないんじゃが、袁術の娘は後に孫権の側室となっておるんじゃ。そして袁術の息子の袁燿はこの時に郎中に任じられたとあるんじゃよ。

袁胤達は袁術の妻子を伴っていた訳じゃから、最終的に孫呉の庇護を受けておったのではなかろうか。

ちなみにこの袁夫人は後に孫権が皇后に立てようとしたようなんじゃが、彼女は自身に男子(の跡継ぎ候補)がいなかったことから辞退するんじゃよ。

とても袁術の娘とは思えないほど、つつましいと思うんじゃ。こう言うのを見ると少し袁術の実像って如何じゃったんだろうか、興味は出てくるのう。

さて、ちと脱線したがこれで袁胤の紹介は終わりじゃ。続いて彼の能力評価を見ていくぞい。袁胤は全作品に出ておるの。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 袁胤(20歳)  25 30 55 50
 ↓ ↓ ↓ 
 袁胤(45歳)  51 57 84 79

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袁胤は丹陽太守として送り込まれ、特に悪政はしておらんたことから知謀や政治は標準程度に評価したんじゃ。その一方、孫策に送り込まれた軍にはさっくりとやられていることから軍事関係はやや抑えめの評価としたんじゃ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 袁胤  24 14 39 41 43

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 袁胤  2 2 1 4 3 4

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 袁胤  5 9 8 7 11

 

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雑談ぢゃ

さて、袁胤の能力評価じゃな

どの作品も厳しめの評価ですね。

そうじゃな、そんな中唯一鄭問さんだけは袁術よりも袁胤の評価が高いんじゃな。

それだけ袁術の暴政の評価が低かった、と言うことでしょうか。

そうかもしれんのう。それにしてもちと厳しめの評価じゃな。

それにしても周瑜がもしここにいたらちょっとテンションが上がりそうですねえ。

まあさすがにちとまだ若すぎるからのう。ここで出すにはちと無理があるがのう。じゃが別に面白い人物が袁術陣営にはいるぞい。まあこれもちっと無理やりじゃがな。さて、そんなところで袁胤の紹介は終わりじゃな

誰でしょう、ちょっと気になりますね。それでは次もまたよろしくお願いします。