さて、今回紹介する人物は何儀じゃな。字や生没年は不明じゃ。
彼は元々黄巾賊だったんじゃ。
そんな彼がどんな人生を送ったのか。あまり語れることはないかもしれんが見ていくとしようかのう。
さて、今回は何儀じゃな。
確か演義にも出てたように思いますが、はっきり覚えていないですね。
うむ、そう言えば演義では袁術の武将としての出番ではなかったかのう。さすがにもう忘れておるのう。それでは早速人物紹介と行こうかの。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、何儀じゃが、汝南・潁川の黄巾の賊徒だったんじゃ。
何儀以外にも統率する人物が複数おり、それぞれが数万規模の軍勢を擁しておったんじゃ。そして恐らく袁術が豫州に流れ着いたころには袁術に味方しておった、と言うんじゃな。
196年の二月、曹操は豫州方面に軍を進め、彼らを撃破するんじゃ。
何人かの武将を斬り、何儀は軍勢ごと全て降伏するんじゃな。
さて、この袁術及び何儀等の黄巾残党の討伐じゃが、ただの討伐ではなく、曹操にとっては一大転機となる時期だったんじゃな。
と言うのも196年の二月に曹操は彼らを討伐し、そして彼らがいなくなった後9月に曹操は献帝を迎え入れ、許を都として定めるんじゃよ。
考えようによっては献帝を迎え入れるための露払いとして、汝南・潁川の地を平定したのかもしれんのう。
さて、何儀の紹介はここまでじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回は鄭問さん以外に出ているぞい。
能力評価
何儀は黄巾残党として数万の兵を率いておったことから、能力の中では統率を一番高い評価としたんじゃ。じゃが、曹操にあっさりやられておることから統率もそこまで高くはできんかのう。他は何も記録が残っておらんことから抑え目じゃな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、何儀の能力評価じゃな。まあそこまで高い評価にはならんかったのう。
師匠と天舞さんはちょっと似ていますね。統率、采配がともに高いですから、政治と知謀はもう誤差ですね。
そうじゃな、一応壊滅する前に曹操軍に降伏する、と言う選択ができた、と言うことで政治を少しだけ高くしたんじゃ、あくまでも少しだけじゃがな。
一つぐらいは100超えが欲しいですが、なかなか厳しいですね。
袁術陣営はこれぐらいの武将が結構おりそうじゃからな、人数の割に苦労するとは思うぞい。せめて100越えのスぺシャルがおれば組み合わせ次第で戦えるんじゃがのう。
なかなか厳しそうですねえ。
まあ希望の光はおるから、そやつに期待じゃな。さて、今回はここまでじゃな、次もよろしく頼むぞい。
紹介ありがとうございました。次もまたよろしくお願いします。