さて、今回紹介するのは楽就と言う人物じゃな。
字は不明じゃ生年は不明で没年は197年じゃな。
彼は袁術の武将として名前が出てくるんじゃよ。彼もあまり語ることはないかもしれんが、見ていくとしようかのう。
さて、今回紹介する人物は楽就じゃよ。
演義にも確か出ていましたよね。
うむ、結局彼も袁術陣営の武将として、やられるしかなかったんじゃがのう。
敗者側の陣営だと記録が残らないから、なかなか厳しいですね。
そうじゃな、それでは早速人物紹介と行こうかの。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、楽就じゃが、出てくるのは一ヶ所だけのようじゃな。
『武帝紀』を見ると、197年の9月に袁術は陳に侵攻し、曹操は袁術の征伐に赴いたんじゃ。曹操が攻めてきたと聞くと、袁術は軍を捨てて逃走したんじゃが、その際何人かの武将を残留させておったんじゃ。その将の一人として残っておったのが、楽就じゃな。
曹操は現地に到達すると彼等を撃破し、全員斬り殺した、とあるんじゃ。
この辺りは完全に地力の差となるんじゃろうかのう。
ともあれ、これで楽就の出番は終わりじゃな。他にも記述はないようじゃ。続けて能力評価と行くぞい、今回は天舞さん以外に出ておるようじゃな。
能力評価
楽就は袁術配下の将軍としての地位におったことから、軍事を高めとしたんじゃ。じゃが目立つ実績が見えてこんことから、全体的には抑え目の評価じゃな。統率も曹操にやられておることから、抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、学習の能力評価じゃな。相変わらず、記述が少ない彼のような人物は評価が難しいのう。
コーエーテクモさんはちょっと知謀が高めですね。
そうじゃな、演義でも特段知謀面の能力は発揮していなかった、とは思うが、まあこの辺りは他の武将とのバランス調整かもしれんのう。
鄭問さんも全体的に抑え目ですね。
こちらも恐らくほかの武将との兼ね合いじゃろうのう。特に鄭問さんは登場人物が少ないだけに、余計に抑えられておるやもしれんのう。
ただどの作品もあまり高くはできなかった、と言うことですね。
まあ残念で残酷な話じゃが、それが敗者の宿命のようなもんじゃからのう。さて、今回はここまでじゃな。
紹介ありがとうございました。次もまたよろしくお願いします。