さて、今回紹介するのは韓胤じゃな。
字や生没年は不明じゃが恐らく196~197年頃に亡くなっておると思われるんじゃよ。
彼はどんな人物じゃったか、見ていくとしようかのう。
さて、今回は韓胤と言う人物の紹介じゃな。
演義に・・・出ていましたか?それにしても、マイナー武将ばかりですと、段々砂を嚙んでいるような感じになってきてますね。
んん、お主砂を噛んだことあるんかい。
いえいえ、比喩に決まってるじゃないですか。本当に噛むわけないですよ。
ほっほっほ、冗談じゃ、ワシも噛んだことはほとんどないぞい。
ってあるんですか!?それはそれでびっくりですよ。
まあ、歯をいためるだけじゃからあまりお勧めはせんぞい、といい加減脱線から戻るぞい、今回は韓胤じゃな、なかなか可哀そうな人物なんじゃ。演義にも確か出ておったぞい。演義もあれじゃな。
何となく、口ぶりから演義でもあまりいい役割ではなかったようですね。
うむ、それでは彼の人物について見ていくとしようかの。
人物紹介
さて、韓胤じゃが、彼は袁術の参謀・補佐のような役割をやっておったと思うんじゃ。
それと言うのも彼は袁術の意を受けて、外交官としての役割を果たそうとしておったんじゃ。
196~197年頃、袁術は呂布と手を結び、味方に引き入れようと考えたんじゃ。そこで呂布の娘を嫁にくれと申し込んだところ、呂布は承知したんじゃ。
そこで袁術は韓胤を使者に立てて、皇帝を僭称しようとしたいきさつを呂布に通告させ、合わせて嫁を迎えさせたんじゃ。
この時の使者の役目は成功し。韓胤は呂布の娘を連れて帰還しようとしておったんじゃ。
じゃが、ここで思わぬ横やりが入ってくるんじゃよ。
沛国の相の陳珪は袁術と呂布が姻戚になって徐州と揚州が南北に連合することになっては国家の患いになると心配し、呂布の下に赴き必死に説得するんじゃ。
元より人の意見に流されやすく、また以前最初に袁術の下に流れた時に、自分を受け入れてくれなかったことを怨みに持っていた呂布は、陳珪の意見を聞き入れ、帰還途上の韓胤を追いかけ娘を取り戻すんじゃ。
さて、韓胤はどうなったか、彼は呂布の娘を取り戻す時に枷をつけられて許まで護送されるんじゃ。そして市場でさらし首にされてしまうんじゃな。
姻戚だけであれば、このような措置は受けなかったかもしれんが、皇帝を僭称しようとした、と言う話を呂布にしてしまったことが運の尽きだったんじゃろうな。
この当時丁度許には曹操と献帝がともにおったことから、不敬と言うことでの処置だと思われるのう、残念じゃが仕方のないことじゃろうな。
と言うことで人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回も天舞さんのみ出ておらんようじゃな。何かちと意外な感じじゃな。
能力評価
韓胤は外交官として、一度はその役割を果たし、呂布の娘を連れ帰るところまでできていたことから、知謀と政治を少し高めに評価したんじゃ。その一方、軍事面における実績、役職は皆無であることから、こちらは抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、韓胤の能力評価じゃな。一応政治面の評価はそこそことしておるぞい。
これに関しては師匠だけでなく、他の作品も似た傾向ですね。
そうじゃな、ワシは微妙に政治の方を高くしておるが、他は知謀の方が高いようじゃの。
これは他の武将との兼ね合いのためですか?
うむ、袁術配下の閻象が自分は知謀の方が高いんじゃが、他の作品では逆で政治の方が高いんじゃよ。
なるほど、バランスをとるために逆になった、と言う感じなのですね。
恐らくはそう言うことじゃろうな、さて、今回はここまでじゃな。
紹介ありがとうございました。次もまたよろしくお願いします。