さて、今回紹介する人物は黄邵じゃな。字は不明。
生年はわかっておらんが、没年は196年と言うことが分かっておるんじゃ。彼は何をやり、どのようにして亡くなったか、見ていくとしようかのう。
さて、今回は黄邵じゃな。演義でも一応出ておったぞい。
うーん。ほとんど記憶にないのですが、彼が袁術武将っぽい記憶もないから、何儀と同じと言うことでしょうか。
正解じゃな、史実も基本的には変わらんと思うが、ちとみていくとしようかの。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて黄邵じゃが、何儀と同様に汝南・潁川の黄巾の賊徒だったんじゃ。
そして袁術が豫州に流れ着いた頃、黄邵も何儀等と同様、袁術に味方しておった、と言う話なんじゃな。
そして196年の二月、曹操は豫州方面に軍を進め、彼らを撃破するんじゃ。
この時曹操は版梁と言う地に駐屯しておったんじゃが、ここに黄邵は夜襲を仕掛けてくるんじゃ。着眼点は良かったと思うのう。
じゃがそこに立ち塞がったのが魏の名将于禁なんじゃ。彼は直属の兵を指揮して夜襲してきた彼らを迎え撃って破り、黄邵を斬ってすてたんじゃよ。
着眼点は悪くなかったが、相手が悪かった、と言えるかのう。よりによって防衛戦を得手としておる于禁が待ち構えておった訳じゃからな。
さて、黄邵の紹介はここまでじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回は・・・ワシだけの評価になるんじゃな。
能力評価
黄邵の能力評価じゃが、曹操陣営に夜襲をかけるなどの着眼点からこの中では知謀を一番高い評価としておるんじゃ。じゃが、于禁に打ち破られ、斬られたことから全体的には抑え目の評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、黄邵の能力評価じゃな。夜襲を仕掛ける着眼点は良かったと思うんじゃが、相手が悪かったのう。
曹操、そして于禁が相手じゃなければもう少し活躍した場面が見れたかもしれませんね。
そうじゃな、もう少し評価してやりたいとこじゃが、かくたる評判も実績もないのでは仕方あるまいの。
もしくは何曼のように演義で良い役割を与えられていれば少し違ったかもしれませんね。
総合的にはそれほど変わらんのじゃが、インパクトは出たかもしれんのう。
袁術陣営はなかなか評価が厳しいですね。
歴史とは勝者のための歴史じゃからな、仕方あるまい。さて、黄邵の紹介は終了じゃな。良ければ次も見てくだされ。
紹介ありがとうございました。もし他にもどなたか興味ありましたら、下から調べてみてくださいね。