さて、今回紹介するのは戚寄じゃな。彼について字も生没年も不明なんじゃ。
昨日の秦翊同様、恐らく知らない人物も結構いるんじゃなかろうか。
彼もまた記述は少なそうじゃが見ていくとしようかのう。
さて、今回は戚寄と言う人物じゃな。彼も多分演義には出てこない人物じゃな。
上でちらっと書いていますが、秦翊と関連する人物なのでしょうか?
そうじゃな、まあ秦翊と戚寄はセットで語られておるからのう。
と言うことは彼も劉馥の・・・。
まあ、そういうことじゃな、それでは人物紹介へと行くぞい。
わかりました、よろしくお願いします。
人物紹介
さて戚寄についてじゃが、彼もまた正史での出番は一ヶ所だけなんじゃよ。
魏志『劉馥伝』の所に同じように記載されておるんじゃ。
『劉馥伝』によると、劉馥が建安の初めに、袁術の将軍であった戚寄を秦翊と共に説き伏せ、軍勢を引き連れて一緒に曹操のもとへ鞍替えさせたんじゃ。
こうして元々袁術軍の武将であった戚寄は秦翊と共に曹操配下の将となったようじゃな。もちろん曹操はこれをかなり喜んだ、ということじゃな。
戚寄じゃが戚と言う姓はなかなか珍しいのう。少なくとも同時代で史書に戚姓の人物は他にはいないようじゃな。じゃが前漢劉邦の側室に戚夫人がおったことから、それなりの名族だった可能性もあるのう。
もっとも戚夫人の最後は悲惨なものじゃったが・・・興味ある方は調べてみても良いが、相当むごい話じゃから、あまりお勧めはせんぞい。
さて、戚寄の記録もここまでじゃな。と言うことで人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価じゃ。今回もワシの評価のみじゃな。
能力評価
さて、戚寄の能力じゃが、こちらはどちらかと言えば統率を評価しておるんじゃ。と言うのも劉馥は「戚寄と秦翊」を説得した、と戚寄の方を先に挙げておるんじゃな。まあ細かい部分じゃが、戚寄をより将官寄りだったと判断して、統率を高めとしたんじゃ。
そこで軍人としては秦翊よりは戚寄の方がバランスタイプと言う評価にしたんじゃ。もっともトータル評価は同じぐらいじゃな。そして総合的には両者とも抑え目じゃ。
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雑談ぢゃ
さて、戚寄の能力評価じゃな。秦翊よりは統率が高めじゃ。
そう言えば公孫度陣営の時も同じようなことをやっていましたね。
そう言えばそうじゃな。実績が少ないから逆にこの辺りは妄想の膨らましがいもあるというものよ。
それにしても統率100とかさらっと書いていますが、数千の兵を指揮できると考えるとなかなかすごいですよね。
そうじゃな、一学年10クラスぐらいの中学や高校で1000人強と言ったとこじゃからのう。それらを乱さず率いるって大変じゃよ。
あ、でもそうやって考えると組織の形態って分かり易いですね。
そうじゃな、校長・教頭がおって、各学年に学年主任がおって、その下にクラス担任がおって、さらに各クラス内で班に分かれて、と言う感じじゃな。
そう言う組織をどれだけ整備させることができるか、これが万単位とかになってくるわけですから、更に大変ですね。
うむ、それだけの人数を指揮できる、と言うのはやはり大したもんじゃろうな。コミュ障のワシでは絶対できんわいwさて、ちと脱線気味になってしまったのう。数値的に目立たなくてもやはり彼らは偉大だったんじゃろう、と言うことで、今回はここまでじゃな。
紹介ありがとうございました。次も良ければご覧ください。他に気になる方がいましたら、下の索引をご覧ください。