さて、今回紹介する人物は孫香と言う人物じゃな。
字は文陽と言うんじゃが、生没年は不明じゃな。字が判明していることと、孫姓と言うことから、ある一族のことを思い浮かべる人も多いじゃろうか。
さて、今回は孫香と言う人物じゃな。彼も演義には出てこない人物じゃろう。
確かに聞き覚えがないですが、孫権達と血縁関係はあるのでしょうか。
そうじゃな、かなり遠い感じじゃが一応孫氏の系統と言えよう。
それだと本来なら、この時期なら孫堅でしたか、そちらについているのではありませんか。
本来はそうじゃが、彼もまた韓浩と同じ特別枠じゃな。それと彼は孫一族と言っても少し他とは違う運命をたどるんじゃ。そう言うのも含めてここでは袁術陣営としたんじゃよ。
なるほど、それでは紹介の方、よろしくお願いします。
人物紹介
さて孫香じゃが、『呉書』によると字を文陽と言うんじゃ。父は孫孺(字は仲孺)と言い、彼は孫堅の又従弟に当たる、と言うんじゃ。
と言うことは孫堅と孫孺の祖父が兄弟、と言う関係じゃな。
身内で考えると曾祖父の兄弟、その子孫と言う感じじゃから、冠婚葬祭でもしかしたら顔合わせするかのう、と言うぐらいじゃろうか。ワシよう話しできんぞいw
まあこの時代は今よりははるかに同族意識は強いじゃろうからもっと距離は近いじゃろうがの。
そしてこの孫香じゃが、若い頃は郡の役所に出仕して主簿や功曹となったんじゃよ。その後、孫香は孫堅に従って征伐を行い、手柄を立てて郎中に任じられたんじゃ。
その後袁術のために奔走していた、とあるんじゃよ。
続けて『江表伝』の記述を見ると、孫策が自立の道を探っていた頃、孫香は袁術に取り立てられ汝南太守となっておったんじゃ。他にも呉景や孫賁と言った孫一族の連中もこの頃は袁術に取り立てられておったんじゃな。
彼らに対して孫策は手紙を送ったんじゃ。「今、江東の征伐を行いたいと思うが、諸君のご意向はいかがであろうか。」
呉景はすぐさま職務を捨てて孫策の下へ帰ったんじゃ。孫賁も困難な立場であったが、やっとのことで逃れ出ることができたんじゃよ。
じゃが、この時孫香だけは遠くにおることから、孫策の下に帰還することができんかったんじゃな。
何より孫香自身は上で袁術のために奔走していた、とあることから案外袁術の下から離れる気がなかったのかもしれんのじゃ。このことから他の孫一族とは少し違う、と彼を袁術配下としたんじゃよ。
さて、こうして袁術に従い続けた孫香じゃが、『呉書』によると彼は最終的に征南将軍を加官され、最後は寿春で亡くなった、と言うことじゃな。
さて、これにて孫香の紹介は終了じゃな。続けて能力評価じゃ。今回はワシの評価のみじゃな。
能力評価
孫香は孫堅は以下時代に手柄を立てるような活躍をしている、更に最終的には征南将軍にまで上っていることから、軍事と統率を共に高めの評価としたんじゃ。
また当初は主簿や功曹をやっておったことから、政治面も一定以上の評価としたんじゃが、さすがに知謀は何の記述もないことから抑えめじゃな。まあ袁術陣営のエースじゃな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、孫香の能力評価じゃな。
彼みたいに具体的な記述があれば評価しやすいのですね。
まあ袁術陣営は人材的にきついから、ちと盛り気味かもしれんが、実績と評価と袁術陣営内でははっきりしている数少ない人物と言うことでご容赦くだされ。
橋蕤と比べると、実績がある分軍事面の評価が高い、と言う感じですね。
そうじゃな、後は孫一族、と言う肩書もわずかに関係しておるかもしれんのう。
他の孫一族の面々との比較も見てみたいですね。。
ふっふっふ、その内もう孫一族なんか見たくない、と言うぐらい見ることができるようになるから覚悟しておれ。さて、今日はこの辺りまでじゃな。
袁一族の数少ないエースの一人、孫香でした。もしよければ次もご覧ください。他に気になる方がいましたら、下の索引をご覧くださいね。