さて、今回紹介する人物は楊弘じゃな。
字や生没年は不明じゃ。彼もまた袁術陣営と言うことから詳細な記録は不明なようじゃな。それでは早速彼の実績について見ていくとしようかのう。
さて、今回は楊弘の紹介じゃ。多分知らないであろう。
彼は知らない人物ですね。
そうじゃな、彼は演義も出ておらんのではなかろうか。正史でも記述はほんのわずかのようじゃからな。
それでは早速紹介の方お願いします。
うむ、それでは見ていくとしようかの。
人物紹介
さて、今回の楊弘についてじゃが、正史の方はどうも一ヶ所のみの記述のようじゃな。
『孫策伝』によると彼は袁術の長史であった、と言うことじゃ。長史は以前にも少し書いたことがあるが、諸曹の取り仕切り役、長官であることから担当する曹(部門)によってやることが変わってくると考えられるんじゃな。
例えば以前記述した留府長史等はトップが遠征している間、本拠地の留守を預かる役割を担っておったんじゃな。他にも左右長史、行軍長史等があるぞい。
さて、この時の楊弘がどの部門の長史だった課までは分らんが、『孫策伝』によると、袁術が死ぬと、その長史であった楊弘や大将の張勲たちは、その部下を引き連れて孫策の下に身を寄せようとした、と書いてあるんじゃ。
大将軍の張勲と並んで書かれておることから、どちらかと言えば文官側のトップ、と言う位置づけだったのではなかろうか。
さて、この時張勲と共に行動しておった楊弘じゃが、張勲のところに書かれておるように、劉勲によってだまし討ちにあい、皆全て虜囚の身となってしまったんじゃ。
張勲とは違い、その後の楊弘の動向は不明なんじゃな。と言うことで楊弘の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。 今回楊弘はコーエーテクモさんの三国祖14に出ておるようじゃの。
能力評価
楊弘は文官生き残りのトップらしきことから、政治面の能力を高めの評価としておるんじゃ。じゃが劉勲の待ち伏せを受けて捕えられたことから政治に比べると知謀はやや抑えめじゃな。また軍事面も控えめの評価としたんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、楊弘の能力評価じゃな。
コーエーテクモさんの方は知謀が高くて政治が低めですが、師匠は逆ですね。
ワシの場合は劉勲にしてやられた、と言う判断じゃからな。まあ長史の詳細な役割もわかっておらんから、この辺りはどちらもありじゃと思うぞい。
師匠の紹介している人物でも確か長史で知謀高めの方も確かいましたもんね。
まあもう少し記録が欲しいところじゃのう。さて、それでは今回はここまでじゃな。
紹介ありがとうございました。次もまたよろしくお願いします。他に気になる人物がいましたら下をご覧ください。