三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

劉勲(りゅうくん) 字:子台(?~?)

さて、今回紹介する人物は劉勲じゃな。

袁術陣営のエースの一人と言っても良いじゃろう。字は子台、生没年は不明じゃが213年頃までは彼の記録が見えることから曹操に降ってからも長いこと活躍しておったようじゃな。

 

さて、今回紹介するのは劉勲じゃ。彼の名前は聞いたことあるかのう。

劉姓の人は多いですからね、さすがに覚えてないです。

ふむ、しかし彼こそが恐らく袁術陣営で一番実力のあった将と思えるんじゃ。まあ性格には難あり、と言った感じじゃがな。

そう言う人物多いですね。やはり混沌とした時代故ですか?

どうじゃろうな、環境と資質、どちらもありそうじゃ。さて、それでは彼の事跡を追いかけていくとしようかの。 

人物紹介

曹操との邂逅そして袁術

『魏略』によると、劉勲は字を子台と言い、瑯邪の人物である。中平年間(184‐189年)の末頃に沛国建平県の長となるんじゃな。

丁度この時期に曹操と知り合ったようじゃな。

後に袁術によって盧江郡の太守となるんじゃ。

袁術の妻子は袁術死後、劉勲の下へ身を寄せたんじゃが、199年から200年にかけて孫策によって劉勲が打ち破られると、孫策に引き取られて世話を受けるようになったんじゃ。

この時、後に曹操の謀臣となる劉曄がちょうど劉勲の近くにおり、孫策がへりくだった態度で豫章の上繚を攻めることを提案することに対して、ただ一人反対の意見を述べるんじゃな。じゃが劉勲じゃそれを聞き入れず、結局孫策に敗れるんじゃ。

劉勲は孫策に敗れると曹操に身を寄せ、列侯に取り立てられたようじゃな。

それからは側近として平時も出兵の際も議論に加わった、とあるんじゃよ。なかなか才を評価されておるようじゃな。

曹操時代のエピソード

213年曹操を魏公に任命しようとした時のことじゃ。曹操は三度に渡りこれを辞退するんじゃが、この時に荀攸らを始めとして多くの臣下が受諾するよう勧めるんじゃが、この中に劉勲の名前も見えるんじゃよ。

この時の劉勲の肩書は平慮将軍・華郷侯となっておるんじゃ。

他の臣下を見るとこの時期まだ亭侯の人物も多いから、この時点で既に郷候と言うことはかなり優遇されておるようじゃな。

他にこの時期のエピソードとして、ある日劉勲は当時奮武将軍だった鄧展等と共に、曹丕と飲み会を行っておったそうじゃ。そこで剣術議論となり、酔い覚ましにかじっておった砂糖きびを剣に見立てて曹丕と鄧展がやりあったそうなんじゃ。勝負は曹丕の勝ち。

何と言うか、この時代の風習が窺い知れる貴重なエピソードじゃな、特に酔い覚ましに砂糖きびをかじる、と言うのはなかなか面白いのう。

傲慢さが招いた、その最後

劉勲は身分が高く曹操との知り合い、と言うことで少々傲慢なところがあったようじゃ。当時河内郡の将軍だったことで、彼の子分や子弟が郡の境界付近でしばしば法を犯しておった、と言うことなんじゃ。当時近くの広平県に司馬芝と言う人物が県令として赴任しておったんじゃ。司馬芝は司馬懿や司馬朗兄弟の族兄にあたる人物じゃな。

その司馬芝に劉勲は手紙を送り、何とか大目に見てくれるよう頼みこむんじゃ。じゃが剛直な司馬芝は一切聞き入れず、法に従い処罰したんじゃ。

さて、そんな劉勲じゃが、曹操の知り合いと言うことで彼は思い上がり、法律を犯し、また誹謗の言葉を吐くなどしたことから、ついに告発され、逮捕処刑されることとなるんじゃ。

何度も法律を犯した、とあるから自業自得と言えるかのう。曹操の身近におったことで勘違いしてしまったのか、残念な話じゃ。

劉勲の意外な人間関係

さて、袁術配下の武将が曹操と懇意の仲じゃった、と言うのも意外かもしれんが、劉勲にはもう一人少々意外な知り合いがおるんじゃ。

嘘か真か、この時代に初めて外科手術を行ったと言われる華佗じゃな。恐らく200年代中頃の話じゃと思うが、劉勲の20歳近くになる娘の膝こぞうに妙な腫物ができてしまうんじゃが、これを華佗が治療するんじゃよ。

人間関係を見ると意外な大物と言う感じがするのう。傲慢なのはいただけんが、なかなか興味深い人物と言えよう。 

さて、これで劉勲の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は鄭問さん以外に出ておるようじゃ。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉勲(20歳)  115 80 60 25
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓ ↓↓
 劉勲(45歳)  150 112 90 51

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劉勲は盧江周辺に一大拠点を築き、孫策ですら簡単には手出しができんかったようなんじゃ。また曹操政権下でも側近として色んな閣議にも参画しておったっことから軍事面を全体に高評価としておるんじゃ。

じゃが孫策の政略に騙され、また法律を犯して最後は処刑されることから政治はかなり抑えめじゃな。初期に県長となっていることから最低限の評価と言う感じじゃ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 劉勲  50 63 35 16 32

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 劉勲  1 4 3 6 4 7

 

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雑談ぢゃ

さて、劉勲の能力評価じゃな。

天舞さんの評価がだいぶ違う感じですね。完全に文官寄りの評価ですよ。

うーむ、この評価に至った経緯はワシも分らんのう。曹操政権下でも将軍職を得ておるし、孫策も正面からぶつかるのは不利と感じたからこそのからめ手じゃろうから、もっと軍事面が優れていると思うんじゃがな。

三国志14も少し低めの評価ですね。

スキルに高慢とか入っておるから、人格面から少し低めにされておるんじゃなかろうか。

なかなか厳しいですね。

まあ気持ちはわからんでもないが、人格と能力はまた別と思いたいからのう。さて、今回はここまでじゃな。良ければ次もまた見てくだされ。

袁術陣営もあと少しですね。良ければ次もご覧になってください。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。