さて、今回紹介する人物は於夫羅じゃな。名前から何となく分かるかもしれんが、彼は異民族、匈奴の人物なんじゃ。
最近はゲームにもちょくちょく出ているので、知っている方もいるのではなかろうか。
さて、今回紹介するのは於夫羅じゃな。
演義では多分見たことない名前ですね。ですが、ゲームで確か出ていましたよね。
うむ、異民族が良く出るようになって、彼も出番が増えた感じじゃの。
異民族と言うと匈奴辺りですか?
お、察しが良いのう。当たりじゃ。それでは彼がどんな人物か見ていくとしようかの。
人物紹介
若き日の於夫羅
於夫羅についてじゃが、彼の人物像は『三国志全人名事典』の方が少し詳しく書いておるようじゃの。それによると、彼は南匈奴の単于(王)であった羌渠の子で右賢王だったそうじゃ。
若い頃の於夫羅のエピソードで興味深いのが、董卓伝の注釈『典略』にあるんじゃ。
何進が董卓を呼び寄せようとした時に董卓が上奏文を出しているようじゃが、そこに「私が以前勅命を奉じて、於夫羅を征伐した折には・・・」と言う記述があるんじゃよ。
これがいつ頃の出来事かは分からんが、一つのヒントが次にあるんじゃ。
史書の武帝紀注の『魏書』によると、中平年間(184年~189年)に漢が匈奴の兵を徴発した時、於夫羅は統率者として漢を援助した、とあるんじゃ。
中平年間と言うと丁度黄巾の乱が勃発しておった頃じゃろうか。黄巾討伐に彼も参加しておったじゃろうから、このタイミングよりは前に董卓の征伐を受けておったんではなかろうか。
しかし、このタイミングで本国に反乱が起こり、単于の羌渠が殺害されてしまったんじゃ。これにより於夫羅は本国に戻ることもできず、そのまま軍勢を率いて中国に留まったんじゃ。
そして董卓の動乱などで天下が荒れた時期に西河の白波の賊と合流し、諸軍を荒らしまわって乱暴を働いた、と言うことなんじゃ。
本国からの後ろ盾がなければ、軍を維持することは難しく、こうなることは必然じゃったろうな。
各地の群雄との交わり
この時期、彼は中原の各地で色んな勢力と手を結んでいるんじゃよ。
まず、反董卓連合軍で袁紹が河内まで来た時に、張楊、於夫羅と合流し、漳水に駐屯するんじゃ。じゃがそこで於夫羅は反逆を図った、とあるんじゃな。
誰に対しての反逆か、はっきりとは分からんが、漢帝国自体に対する反逆なのかのう。
袁紹と張楊は当然同調しないが、於夫羅は張楊をひっとらえて連れ去ったんじゃよ。ここで登場するのが袁紹軍きっての名将、麴義じゃな。
麹義は鄴の南でこれを打ち破ったとあるんじゃ。じゃが於夫羅はしぶとく逃げ延び、黎陽にて度遼将軍の耿祉の軍勢を破って勢力を盛り返したんじゃ。
その後193年、『武帝紀』によると袁術が陳留郡に侵攻してきた際に、黒山の残賊と於夫羅が袁術を助けたようじゃが、曹操によって大敗したようじゃな。
その後の記録は史書にはないようじゃな。弟の呼廚泉が後に曹操に目通りしておることから、曹操に帰順したのではなかろうか。
さて、これで於夫羅の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は全作品に出ておるようじゃ。
能力評価
於夫羅は張楊をひっ捕らえたり、度遼将軍であった耿祉を破ったりしたことから、軍事能力を高めの評価としたんじゃ。
じゃが董卓の征伐を受け、麹義にも敗れていることから受けが弱いと考え、統率は抑え目じゃな。文治方面は特筆すべき事績がないことから、こちらも抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、於夫羅の能力評価じゃな。
これは結構評価が分かれていますね。天舞さんとコーエーテクモさんはどちらかと言うと統率型ですね。
これは恐らく単于と言う匈奴の王であった、と言うことから少し統率方面を評価しておる、と言うことじゃろうかのう。
師匠は一武将としての評価に近いですね。
単于とは言え、彼の場合は故国を追われたような身じゃからな。率いておった兵も数千と、そこまで大規模な軍団でもなかったからのう。
董卓に麹義、と言うのも相手が悪かったですね。どちらも中華で有能な将軍なんじゃないですか。
そうじゃな、せめてどちらかに勝てれば、もっと評価は上がったじゃろうな。さて、今回からは并州勢力じゃが、ここは大きな勢力がないから、ササっと行きたいところじゃが、その分細かく勢力が分かれておるんじゃよ。それでも良ければ次もまた見てくだされ。
良ければ次もご覧になってください。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。