さて、今回紹介する人物は繆尚じゃな。字や生没年は不明じゃ。彼は正確に言うと張楊配下、と言う訳ではないんじゃが、彼と行動を共にしておったようなので、ここで紹介するぞい。
どうも、くまの爺じゃよ。さて、今回紹介する人物は繆尚じゃな。彼も何度か名前が出ているが覚えておるかのう。
どうも、張郃です。ふむ、俺が答えてしまう訳にはいかんか。
う、え、えーと、でも張楊さんと一緒と言うことは袁紹さん辺りで出てきたのでしょうか?
ふむ、惜しいとこじゃが、袁紹のところでは出てきておらんのう。
まあ、どうせ人物紹介のところでばれるんだろう、ほれ、さっさと紹介せんかw
うむ、それでは繆尚の人物紹介と行こうかの。
(どこだったかな・・・?)よろしくお願いします。
人物紹介
さて、繆尚についての紹介じゃが、彼の出番は2か所じゃな。
魏志『武帝紀』によると199年、張楊を楊醜が殺害し、その楊醜を眭固が殺害し、袁紹配下となった時じゃ。
この時曹操は曹仁と史渙に眭固を攻撃させるんじゃ。この時眭固は張楊の元長史の薛洪と当時の河内太守の繆尚を射犬に留めて守らせ、自らは袁紹に救援を求めようとしたんじゃ。じゃが、彼は犬城で曹仁達と会戦になり、斬られてしまうんじゃな。
曹操は黄河を渡り、射犬を包囲すると、薛洪と繆尚は軍勢を率いて降伏したんじゃ。曹操は彼らの降伏を受け入れて列侯に任じた、とある。
この部分の詳細な内容が魏志『董昭伝』に書かれておるんじゃ。
ここで薛洪と繆尚は城を固守して、袁紹の救援を待っておったんじゃ。そこで曹操は董昭に命じて単身城に入らせ、薛洪と繆尚を説得させ、その日の内に彼らは軍勢を挙げて降伏した、とあるんじゃ。
さらっと書いているが、単身で城に乗り込み武装して守りを固めている薛洪と繆尚を説得するとは・・・命じる方も命じる方だが、それを成功させる方もえげつないな。
確かに、それと董昭の説得を受けるまで安易に降伏しなかった二人も見事じゃのう。さて、繆尚の出番はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は、ワシの評価のみじゃな。
能力評価
繆尚は史書の記述内容として曹操達に降伏したことぐらいしか記述がないが、袁紹の援軍まで城を固守しようとした気概を買って統率を高めとしたんじゃ。そもそも張楊の後を受けて河内太守になれている時点でそれなりに優秀な人物じゃろうからな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、繆尚の能力評価じゃな。
ふむ、太守として軍政共にそれなりの評価、と言うところじゃな。
政治面は長史の薛洪が受けもっているような感じじゃな。
二人合わせれば、張楊にも引けを取らなさそうですね。
まあ後漢末の混乱期では、ある程度の実力がなければ簡単には太守になれないからな。
そうじゃな、繆尚も実績こそ少ないがひとかどの人物だったのじゃろうな。さて、それでは今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとしよう。次もよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いしますね。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。