三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

任峻(じんしゅん) 字:伯達(?~204)

さて、今回紹介するのは任峻じゃな。魏志にて立伝されておる大物の一人じゃ。

字は伯達、と言うことから長男じゃろうか。生年は不明じゃが没年は204年じゃな。中牟県の出身者じゃ。

 

どうも、くまの爺じゃよ。さて、今回紹介する人物は任峻じゃな。魏の名臣じゃ。

どうも、張郃だ。任峻殿か、早くに亡くなったのが惜しい人物だな。彼のおかげで魏は食糧問題を大きく改善できたのだからな 

魏にとってかなり重要な人物だったのですね。 

そうじゃな、屯田制度で大きな成果を上げた人物じゃからな。さて、それでは早速見ていくとしようか。 

よろしくお願いします。

人物紹介

任峻の人物像

まず、任峻の人物像じゃが、彼は寛大で人情深く包容力があって、ものの道理を掴んだ人だったようじゃ。

彼の意見には説得力があって、彼が意見をするたびに曹操はそれに感心する場合が多かったようじゃ。

飢饉の際にあっては、友人のみなしごを引き取って面倒を見、父方母方問わず、一族の貧者達の困窮欠乏を助けてやり、その信義は称えられた、とあるんじゃ。

もちろん当人が相応に裕福でなければできんことじゃが、金を持っていても更にひたすら貯め込むことに執着する人には真似できん行動じゃな。

楊原時代の任峻

さて、楊原は中牟の令じゃったが、上にも書いておる通り、任峻の出身地も中牟県だったんじゃな。

つまり任峻は現地採用された、地元の有力者であった、と言うことかのう。

楊原配下時代の詳細は楊原の紹介のところで詳しく書いているので、そちらを参照してくだされ。 

さて、楊原に進言し、河南の地の守りを固めることに成功した楊原じゃが、丁度この時反董卓連合で挙兵した曹操が中牟の県境に入ってきたため、人々は誰に従ったら良いか判断がつかなかったんじゃよ。

そこで任峻は同じ郡の張奮と相談し、郡を挙げて曹操に付いたんじゃ。

判断を誤らず、決断すればすぐに実行する。賢人とはこう言う人物のことを言うのであろうな 

更に任峻はそれとは別に一族と食客・郎党共数百人を集め、曹操に付き従うことを願ったんじゃ。曹操はたいそう喜び、任峻を騎都尉とするように上奏し、従弟をめあわせ、大変かわいがり信頼したと言うんじゃ。

まだこの頃は弱小勢力じゃったから、一族郎党を引き連れてきた任峻の存在はありがたかったんじゃろうな。

典農中郎将

さて、曹操配下となった任峻であるが、彼は曹操が征伐に出るたび、任峻は常に留守を守り、軍の補給を受け持ったんじゃよ。

この頃は飢饉と旱魃、そして地球全体が寒冷化していた時期とあり、常に軍の食糧が不足していたんじゃ。

そこで韓浩が食料を安定供給する必要性を曹操に説き、それを受けて曹操は配下の主な人物達に議論をさせ、草案をまとめようとしたんじゃ。 

ここで議論の中心となったのが棗祇と言う人物で、彼が具体的な案として屯田を設置する案を提言し、それを許諾した曹操が任峻を典農中郎将とし、人民から募集して許の県下で屯田させ百万石の穀物を取り入れ、郡と県でいずれも田官(典農官)を置き、数年の内いたるところで粟を蓄積し、倉庫は全ていっぱいになった、とあるんじゃ。

戸籍の管理は郡太守の下で行われておったんじゃが、屯田民は彼らの管轄ではなく、典農官管轄の下で管理されておったんじゃ。じゃから魏は戸籍人口よりはるかに人がおったんじゃな。 

官渡の頃は、袁紹軍が度々攻め込んできては食料の輸送路を断ち切っておったんじゃ。そこで車千台を一部隊とし、十列になって並んで進み、二重の陣構えをして周りを囲んで護衛したので、賊軍は近づこうとしなくなったんじゃ。

なるほど、補給路への攻撃が途中からあまり通用しなくなったのは、こう言った背景があったからだな。それにしても補給に対しても細やかに対処する曹丞相と、雑に扱うこちら、おのずとそれが結果にも表れる、と言うことだな。   

韓浩、棗祇、任峻いずれも一人でも欠けておったら魏の躍進はなかったかもしれんのう。そう言う意味ではいずれも重要な役割を担っていた、と言えるじゃろうか。 

曹操も任峻の功績を高く評価し、上奏して都亭侯に取り立て、長水校尉に昇進したんじゃ。領地は300戸だったそうじゃな。

 

そして204年、任峻は亡くなるんじゃ。彼が亡くなった時、曹操はしばらく泣き続けたそうじゃな、おそらくまだ若かったであろうし、残念な話じゃ。

さて、人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は全作品に出ておるようじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 任峻(20歳)  45 90 65 125
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓
 任峻(45歳)  73 123 95 161

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任峻は董卓軍に対抗するための最前線で、郡内の兵を統率し、また袁紹軍の攻撃に対して守備戦術を構築し、撃退に成功したことから統率を高めとしたんじゃ。

じゃが一番はやはり屯田を成功させ、後の魏の食料補給の礎へとつなげたことじゃな。絵図は棗祇が作ったかもしれんが、実働部隊としてそれを成功に導いた実績は軽くないじゃろうな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 任峻  67 60 62 71 58

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 任峻  1 1 3 9 4 8

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 任峻  4 7 7 18 11

 

   

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雑談ぢゃ

さて、任峻についての能力評価じゃ。

ふむ、お主のを除けば、全体的に不満の残る能力だな。

まあ、ただ出てくる人数に限りがあると、どうしても彼のように割を食う人物が出てくるのも確かじゃからのう。

以前もおっしゃってましたね。でも確かに、正当な評価を得られていないように感じるのは、残念ですね。 

本来ならもう少し評価されるべき人物が、不当に評価を抑えられているのは気に入らんな。 

うむ、どうしても演義での評価をベースとするから、魏は引き立てられ役になってしまうのう。さて、今回はそんなとこじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

うむ、もう少し今後は高い評価になることを祈るとしよう。よし、それでは次もよろしく頼むぞ。

張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いします。それと他の人物は以下の人名索引を参照してくださいね。