さて、今回紹介するのは張奮じゃな。字や生没年は不明じゃ。
彼は既に一回出てきており、あまり語ることもないかもしれんのう。
どうも、くまの爺じゃよ。さて、今回紹介する人物は張奮じゃな。
どうも、張郃だ。張奮殿は任峻殿のところで名前の出てきた人物だな。
任峻と色々図ったと言うことからそれなりに評価できそうですが、あれ、でも張奮さんって何か他でも聞いた気が・・・。
呉の名臣の張昭がおるじゃろう、彼の一族に張奮と言う人物がおる・・・が演義で出ていたかのう?まあ、ボチボチ見ていくとしようか。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
さて、張奮については史書を見ると一ヶ所のみの出番のようじゃな。『任峻伝』にて、任峻が楊原に進言し、河南の地の守りを固めることに成功した楊原じゃが、丁度この時反董卓連合で挙兵した曹操が中牟の県境に入ってきたため、人々は誰に従ったら良いか判断がつかなかったんじゃよ。
そこで任峻は同じ郡の張奮と相談し、郡を挙げて曹操に付いたんじゃ。
任峻殿と図り、曹操に付くことを決めることができる、と言うことは張奮殿も立派な見識の持ち主だったのかもしれないな。
とは言え、これで張奮の出番は終わりのようじゃな。後の記録がないのは残念じゃ。
さて、人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回はワシのみじゃな。
能力評価
張奮は曹操に与する、と言いう判断を任峻と共に図ったことから、知謀と政治がやや高めじゃな。じゃがそれ以外の実績が見えてこんことから、それ以外は多少抑え目じゃ。能力的には丁度任峻と凸凹の関係で、任峻に足りない部分を補完できるような感じにしたんじゃ。
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雑談ぢゃ
さて、張奮についての能力評価じゃ。
さすがにこれだけ記録が少ないと、評価が難しそうだな。
同時代人の家伝やらがあれば見たいところじゃが、適わんのも仕方のない話じゃな。
それにしてもこの時期の曹操さんって、まだ太守でもない、義勇軍のような状態ですよね。何をどう判断したのでしょうかね。
太守でこそなかったが、橋玄殿や、許劭殿による評判はあったからのう。そちら界隈では結構有名だっったことが関係あるのではないかな。
確かに役職などの肩書以上に評判はあったと思いますのう。張奮については他の作品にも出ておらんから、わしの隙に評価させてもらったぞい。さて、今回はそんなとこじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
うむ、それではおれも帰るとするか。それでは次もよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いします。それと他の人物は以下の人名索引を参照してくださいね。